· 福山競馬(福山市千代田町)の競走馬「レッツゴーカップ」のラストランで、全国の地方競馬を長年支えたアラブ馬が、表舞台から消えた。23日のレース終了後、アラブ馬の功績をたたえるセレモニーが行われ、レッツゴーカップにはニンジンが、騎手と調教師と馬主には功労賞が贈られた。福山競馬は24日午後4時30分の最終レースで幕を閉じる。(大森篤志)
「今日までよく走り続けてくれた。最高の馬だった」。レッツゴーカップに騎乗した渡辺博文さん(46)は、レース後のセレモニーで花束を受け取り、笑顔を見せた。父が厩務(きゅうむ)員として世話をしたレッツゴーカップは2003年に、デビュー。2年前にその父が他界してからは、〈形見〉のように感じるといい、「最後は必ず俺が走る」と名乗り出た。
レッツゴーカップは数年前、渡辺騎手が所属する厩舎に移ってきた。すでに競走馬としては高齢で、残された時間を出来る限り一緒に過ごそうと、ここ1年は、自身のトレーニングの合間に餌やりや体調管理を行ってきた。全159レース(24勝)のうち、100レースに騎乗、16勝を収めた。
1986年にデビューした渡辺騎手は、福山競馬一筋に騎手生活を送ってきた。幼少期、多くの競馬ファンでにぎわう福山競馬の華やかさにあこがれた。父や騎手だった8歳上の兄の背中に導かれるように、中学卒業後、栃木の養成機関を受験。3~4倍の難関で失敗を繰り返したが、厩務員として働くかたわら勉強を続け、2年後に合格し、19歳の時にデビューを果たした。その日の内に初勝利も手にした。
4月、同じく地方競馬の佐賀競馬に移籍する。「半生をともにした競馬場がなくなるのは寂しい。それでも、最後に父が残したレッツゴーカップと過ごせてよかった」と話した。(読売新聞)