2009年9月29日火曜日

馬駆る姿 魅せられて

 起床は午前2時。まだ外が真っ暗なうちに馬場に出て、馬を疾走させる。「どんな馬でも乗りこなせる騎手になりたい」。半年後のプロ試験に向け、金沢競馬場の高橋道雄厩舎で調教に打ち込む。
  「かっこいいな」。小学生の頃、親に連れられて訪れた京都競馬場で、馬を駆る騎手の姿に魅せられた。中学卒業を控え、将来の進路を真剣に考え始めた時、騎手になるには0・8以上の視力が必要と知った。「0・1の視力しか無い自分では無理」。普通高校へ進学せざるを得なかった。
  しかし、夢への情熱は抑えることができなかった。乗馬クラブに通いながらアルバイトでお金をため、目の手術を受けて視力を回復させた。高校を2年で中退すると地方競馬教養センター(栃木県)に入所し、騎手になるための2年間の養成生活に入った。
  馬の世話や馬小屋の掃除に追われるセンターの生活は、さっそうと馬を操る騎手のイメージからかけ離れていた。調教も最初は単調なものばかり。「何でこんな所に来てしまったのだろう」。理想と現実の違いに戸惑った。
  さらに、体重調整の負担ものしかかる。168センチの身長は、騎手の世界ではかなり大柄だ。馬具を含めて50キロという体重制限を守るため、ストレッチや5キロのランニングなど、日々のトレーニングは欠かせない。
  それでも、「やっぱり馬に乗ることは楽しくて、もっと努力しなければと思う」。金沢競馬場へは同センターのカリキュラムの一環として8月に来た。騎手候補生として来年1月まで、あこがれの先輩騎手や調教師、厩務員に指導を受けながら競馬の世界を学ぶ。来春の試験に合格すれば、4月からプロデビュー。夢をかなえる“ゲートイン”まで残りわずかだ。(読売新聞)
<写真>糸井拓哉さん19歳 金沢競馬騎手候補生
京都府向日市出身。趣味は音楽鑑賞で、人気グループ「GReeeeN」がお気に入り。

2009年9月28日月曜日

アラブ系競走馬、ラストラン


 戦後の日本競馬の主力だったアラブ系競走馬の単独レースが27日、福山競馬場(福山市千代田町)の「レジェンド賞」で幕を閉じた。競馬場には全国各地からファンが詰め掛け、アラ系馬のラストレースを見守った。
 この日の第10レースとなったレジェンド賞には7頭が出走。競り合いを、ザラストアラビアンが制した。来場者は通常より約1割多い約2550人で、レース後は、馬に拍手を送ったり、「ありがとう」と叫んだりするファンもいた。
 観戦のため、10年ぶりに福山競馬場を訪れた岩手県北上市の会社員高橋健さん(42)は「息長く活躍するアラ系馬には思い入れを込めやすかった。単独レースが終わるのは寂しい」と残念がっていた。(中国新聞)

【写真】多くのファンが見守った国内最後のアラ系馬単独レース「レジェンド賞」

2009年9月24日木曜日

競馬場で徒競走 60周年記念


 福山市競馬事務局は22日、福山市千代田町の福山競馬場で、子どもの徒競走やリレーを催した。20日から開催する開設60周年のファン感謝イベントの一環。場内は多くの親子連れでにぎわった。

 競馬のレース用ゲートを使い、ダート上を走る徒競走には子ども約100人が参加。小雨の中、観客席前の約50メートルを懸命に駆け抜けた。

 600メートルを6人で走るリレーは、大学生や会社員、騎手の10チーム60人が競った。本番さながらに出走時のファンファーレと実況放送があり、観客席から大きな歓声が上がった。(中国新聞)

【写真】徒競走でゲートから一斉に駆け出す子どもたち

2009年9月23日水曜日

重馬場を子どもら力走、福山の競馬場で「馬場徒競走」

 広島県福山市千代田町の福山市営競馬場で22日、普段は馬が走るコース上を子どもたちが走る「馬場徒競走」が行われ、つまずきながらも懸命に走る愛らしい姿に、保護者や競馬ファンらが温かな声援を送っていた。

 「福山競馬60周年記念 ファン感謝祭」のイベントの一つで、3年ぶりに企画。競馬レースの終了後、約100人の子どもらが計12レースに参加した。子どもらは馬と同様にゲートに並び、競馬場職員らの合図で出走。小雨の中、約50メートルのコースを元気よく駆け抜けた。砂に足を取られて転んだり、保護者に付き添われてよちよち走ったりする子どももいて、「頑張って」などの声が飛んでいた。

 福山市立引野小2年、尼子千風優(ちふゆ)さん(7)は「馬場が柔らかくて足が埋もれそうだったよ。今度は馬に乗って走りたい」と声を弾ませていた。(読売新聞)

福山での騎手交流戦は、園田の大山真吾騎手が優勝

 福山競馬場では「解説60周年記念 近畿・中国・四国連携スタージョッキー」が行われ、10人の騎手が2競走のポイントで順位を競った。
 総合優勝は初戦4着、2戦目2着で総合26ポイントを獲得した園田の大山真吾騎手。2位は初戦3着、2戦目4着の24ポイントだった福山の楢崎功祐騎手、3位は初戦優勝、2戦目10着だった高知の中西達也と、初戦が10着で、2戦目に優勝した園田の川原正一騎手が23ポイントで並んだ。(ラジオNIKKEI)

「アンカツ」に大歓声 笠松競馬場で75周年記念イベント


 笠松町の笠松競馬場で22日、2日間の日程で開設75周年を記念して戦国時代がテーマのイベントが始まった。同競馬出身で中央競馬で活躍し、「アンカツ」の愛称で親しまれる安藤勝己騎手(49)らのトークショーもあり、家族連れなどでにぎわった。
 安藤騎手は笠松競馬で活躍し、2003年に中央競馬に移籍した人気騎手。安藤騎手が登場すると、200人を超える観客から「アンカツ」と歓声が上がった。安藤騎手は「中央はすごい馬が多い。負けてもしょうがないという気持ちでやった方が馬にもプレシャーが伝わらない」と話し、観客を笑わせた。
 馬が活躍した戦国時代をテーマにしたイベントもあり、この日は関ケ原の合戦にちなんだTシャツなどのグッズを販売した。
 23日には、手裏剣を投げる忍者教室や、甲冑(かっちゅう)を着ての記念写真撮影、火縄銃の模擬演武など戦国時代にちなんだイベントを予定している。入場料100円。(中日新聞)
<写真>観客から熱烈なエールを受けた笠松競馬出身の安藤勝己騎手(右)=笠松町の笠松競馬場で

2009年9月19日土曜日

馬主会が競馬存廃で要望書

 広島県馬主会(八木徹会長、約240人)が、福山競馬の存廃について早急に結論を出すよう福山市議会競馬事業特別委員会(小川勝己委員長)に要望書を出していたことが18日、分かった。来年度以降の事業継続が不透明なままでは購入時期をまもなく迎える新馬の確保に本気で取り組めないとの思いが背景にある。

 要望書は、羽田皓市長が事業継続の条件とする単年度の黒字確保を「現在の社会経済状況では大変困難」と指摘。一方で、市が収支均衡の手段としている出走奨励金やレース賞金をこれ以上切り詰めることに強い抵抗感を示している。

 仮に実行されれば、10月下旬にも始まる1歳馬のセールでも福山競馬の馬主が買い控えする事態が起きかねないとし「事業は非常に困難になることは明らか」と懸念している。

 福山競馬は、年々落ち込む売り上げに対応するようにレース賞金などを大幅削減。2005年度からなんとか4年連続で単年度黒字を確保してきたが、昨秋からの不況のあおりもあって本年度第1四半期(4~6月)は約2500万円の赤字。8月の競馬事業特別委で市側は(単年度黒字の維持は)このままでは大変厳しい状況」と認め、一層の経費節減で収支均衡を目指す方針を打ち出している。(中国新聞)

2009年9月16日水曜日

収入見込み0.6%下方修正 岩手県競馬組合 本年度

 岩手県競馬組合は15日、経営再建計画を検討する運営協議会を開き、本年度の収入見込み額を0.6%下方修正し、経費を1億9300万円削減することを決めた。存続条件の単年度収支均衡を達成するため、本年度初めてのコスト調整に踏み切る。

 競馬組合は当初、年間収入を235億6000万円と試算。売り上げが振るわず、6月に0.4%下方修正し事務経費の削減だけで乗り切った。だが、その後も営業成績は落ち込み、2度目の下方修正で収入を232億8600万円にした。

 コスト調整は、競走関係費から1着賞金や出走手当など6200万円を削る。人件費からは退職手当基金の積立額を見直す。ファンサービスにも手をつけ、土日のファン優待バスを現在の30分ごとから1時間ごとにする。
 県競馬組合の宮一夫副管理者は「目の前のコストカットと同時に中長期的な構造改革も考えていきたい」と話した。

 また、県競馬組合はJTB東北(仙台市)と協力し、10月10日と同24日にJR仙台駅など発着の競馬観戦ツアーを企画。盛岡競馬場や韓国の人気俳優ペ・ヨンジュンさんを名誉館長に迎えた漆芸美術館(盛岡市)などを日帰りで回る。(河北新報)

2009年9月9日水曜日

姫路競馬場に洪水調節池 15年度の完成目指す 


 2004年の台風23号による豪雨で、姫路市中心部を流れる船場川(2級河川、11・6キロ)があふれ、179戸の浸水被害が出たのを受け、県は姫路競馬場(同市広峰)に貯水容量12万トンの洪水調節池を造ることを決めた。レーストラック内側の芝生広場2・5ヘクタールを深さ8メートル(最大水深7メートル)まで掘り下げる。本年度から概略の設計に入っており、都市型のゲリラ豪雨に威力を発揮しそうだ。15年度の完成を目指している。

 河川工学や生物の専門家、流域住民ら18人でつくる船場川河川整備計画検討委(委員長=藤田一郎・神戸大大学院工学研究科教授)が当時の雨量を安全に流れさせることを目標に検討した。

 調節池は船場川の水位が一定程度上昇したときに使用。当時の流量(毎秒35トン)だと、新設する堰を毎秒16トンの水が越えると考えられ、これを導水路(580メートル)を通じ調節池に流し、洪水被害を防ぐ。掘り下げた地面にも芝生を植え、普段はスポーツなどに利用できる。

 県は10年度に本格設計し、11年度末の着工を目指す。事業費は約63億円(半額は国庫補助)。

 県によると、船場川と支流の大野川(3・9キロ)では04年の台風23号で約30ヘクタールが浸水。床上浸水12戸、床下浸水167戸の被害が出た。(神戸新聞)
<写真>芝生広場を掘り下げた姫路競馬場調節池のイメージ図。洪水時に船場川の水をためる(県姫路土木事務所提供)

アラブ馬単独レース幕 27日 福山競馬場 在籍わずか40頭に

 27日で幕を閉じる(6日、福山市千代田町の市営福山競馬場で) 福山市営競馬場(福山市千代田町)で開催している、国内で唯一のアラブ馬だけの単独レースが27日、幕を閉じる。在籍頭数がピーク時の10分の1以下の40頭となったためで、同競馬場の開設から60年間、支え続けてきたアラブ馬レースの終了を、関係者やファンらが惜しんでいる。

 同競馬場は1949年9月の開設時から、すべてのレースをアラブ馬のみで開催。85年から約3年間で1億5000万円以上の賞金を獲得した、最強のアラブ馬と言われた「ローゼンホーマ」を輩出するなど、80年代には700頭以上のアラブ馬が在籍していた。

 だが、全国的に競走馬がスピードのあるサラブレッドへ切り替えられるようになる中、アラブ馬の生産が激減。福山市競馬事務局によると、05年にサラブレッドを導入して以降も、力強い走りを見せるアラブ馬の単独レースは根強い人気を保っていたが、40頭では1日4レースが限界で、単独レースを組んでいくのが難しくなったのだという。今後はサラブレッドとの混合レースなどを企画する。

 ローゼンホーマの騎手を務め、現在も調教師として同競馬場で働く那俄性(ながせ)哲也さん(48)は「時代の流れなので仕方ないが、長年アラブ馬を見てきたのでさみしい」と話していた。

 同競馬場では27日、最後の単独レース「開設60周年記念アラブ特別レジェンド賞」を開催する。同事務局の菅原行雄業務課長は「日本でアラブ馬だけのレースが見られるのはこの日が最後。多くのファンに、最後の雄姿を見てほしい」と呼び掛けている。(読売新聞)

笠松競馬場:土地明け渡し訴訟…高裁案受け入れ和解へ

 笠松競馬場(岐阜県笠松町)の一部地主が運営者の県地方競馬組合に競馬場用地の明け渡しを求めた訴訟で、名古屋高裁が示した和解案を両者が受け入れる方針を決めたことが8日分かった。11日の和解協議で基本合意を確認する。組合議会の議決などの手続きを経て、10月中にも笠松競馬の当面の存続が正式決定する見通し。組合関係者によると、和解案は、用地賃貸料を10年度まで1坪(約3.3平方メートル)年間1200円とし、11年度以降は前年度の売り上げに応じて変動させるとの内容。(毎日新聞)

2009年9月7日月曜日

迫力の走りに大興奮 川崎競馬場で『ばんえい競馬』


 川崎競馬場(川崎区富士見)に六日、北海道・帯広競馬場から世界唯一の鉄そりレース「ばんえい競馬」の大型馬「ばん馬」がやってきた。重量感あふれる走りに、ファンも大興奮で声援を送っていた。

 ばん馬は、開催が日曜日に重なる「オープンデー」のイベントで登場。川崎に来たのは「ばんえい競馬」所属のシクノヘプリンスとトカチダケの二頭。いずれもサラブレッドの二倍にあたる一トン近い体重で、騎手が乗った三百キロ近い鉄製のそりを軽々と引いていた。

 川崎競馬場では、二〇〇七年度から毎年一回、オープンデーにばん馬を呼んでいる。東京都渋谷区から来た主婦平野栄子さん(65)は「ばん馬を見られると聞いて初めて来た。とても大きく迫力があった」と声を弾ませていた。(東京新聞)
<写真>重量感あふれる走りをみせたばん馬=川崎区で

2009年9月4日金曜日

笠松競馬盛り上げに一役 名物予想師のブログ、アクセス50万件超


 笠松町の笠松競馬でレースの結果予想を売る予想師一岡浩司さん(48)=三重県名張市=のインターネット・ブログ「場立ちの予想師『大黒社』です!」が開設以来、50万アクセスを突破した。一岡さんは「競馬場でも読んでいると言われるとやりがいを感じる。笠松競馬とファンをつなぐ存在になれれば」と喜びを語る。

 予想師とは、地方競馬独自の存在。競馬場の認可を得て、場内でファンにレース予想を書いた紙を1レース100円で販売する。一岡さんは「大黒社」の屋号で、予想師を営む。

 一岡さんは小学生のころから競馬中継を熱心に見る馬好き。近鉄に入社し、運転士として勤務したため、平日休みが多く、平日開催の笠松競馬などに通うようになった。

 転機が訪れたのは、2002年。よく結果を当てていたため、先輩予想師に目を付けられ、「減りつつある予想師になって盛り上げてほしい」と頼まれた。

 「好きな競馬で飯が食える」(一岡さん)と、予想師の世界に飛び込み、翌年、特例で見習いなしでデビュー。初めは客は友人しかいなかったが、自ら馬券を買うことで予想に説得力を持たせ、次第に常連客が増えていった。同競馬場で日本唯一の女性予想師として有名だった「なでしこ」の師匠も務め、笠松競馬の名物予想師になっていった。

 笠松競馬の情報を広く発信したいと、2006年夏にブログを開設。1日のアクセス数は当初50件ぐらいだったが、現在は500件に増え、3年で50万件を突破した。

 ブログはほぼ毎日更新し、レースの開催情報や見どころ、馬場の状態などを解説。過去の名馬や名勝負にも触れる。一岡さんは「地方競馬の過去の情報は少ないので、特に反響がある」と語る。内容は自宅から競馬場まで通う電車の中で考えるという。

 笠松競馬の魅力は「間近でレースを見られ、迫力があること」(一岡さん)。一部地主による土地明け渡し請求訴訟に揺れる笠松競馬だが、「多くのお客さんに集まってもらい、笠松競馬がにぎわえば、売り上げも伸びる」と希望は捨てていない。

 一岡さんは「ブログを見た人が集まるオフ会を開きたい。過去の名馬のビデオ鑑賞できたら盛り上がる」と、ブログを生かした笠松競馬の盛り上げも提案している。

 ブログのURLは、http://plaza.rakuten.co.jp/daikokusya/へ。(中日スポーツ)
<写真>ブログのアクセスが50万件を突破した名物予想師の一岡さん=笠松町の笠松競馬場前で