2010年10月26日火曜日
騎手「ずっと心の中に不安」 存廃問題に揺れる福山競馬
61周年を迎えた中国地方唯一の福山市営競馬(福山競馬)が存廃を巡って揺れている。有識者の検討委員会が先月末「速やかな廃止」を羽田皓(あきら)市長に答申。施設は老朽化し、経営改善の見通しも立たない。地方競馬は全国的に苦境が続く。福山競馬の現状と、不安の中でレースを続ける騎手を追った。
福山競馬に所属する騎手は17人。中堅のさこ畑(さこはた、〈さこは、土へんに谷〉)雄一郎騎手(29)は、かつて「日本一小さな競馬場」と呼ばれた益田競馬場(島根県益田市)で馬を駆っていた。
島根県出身。1998年4月、デビュー戦を勝利で飾った。「無我夢中だった。他の騎手たちに『よかったなあ』と声をかけてもらい、『勝ったんだ』と実感した」
ロッカーが並ぶ福山競馬場の調整ルームで、さこ畑騎手は思い出の一戦を振り返る。
だが、デビュー5年目の2002年、益田競馬場の存廃問題が浮上。有識者の検討会議では15億円を超える累積赤字の解消策が見いだせず、市長は廃止を表明。55年の歴史に幕が下ろされた。約10人の騎手の多くは関東や北陸の競馬場へ移籍。さこ畑騎手は、世話になっていた調教師の紹介で福山競馬へ移った。
「まさか廃止になるとは思わなかったが、益田よりも規模の大きい福山に移籍できて、希望も持てた」
だが、福山競馬の経営もすでに下り坂だった。
■年収300万円に減
レジャーの多様化に伴う入場者数の減少、バブル景気の崩壊——。馬券の売上額はピークだった91年度の345億円から、02年度には半分にも満たない133億円に低落。累積赤字も膨らみ、移籍2年後の04年度には20億円を突破した。
60〜80年代に整備されたスタンドや厩舎(きゅうしゃ)などの老朽化が進む。改修に充てる施設整備基金は96年度末には28億円あったが、09年度末には6億円まで減少。市の推計では今後3、4年で枯渇する見通しで、大規模な改修は困難な状況だ。
市は累積赤字を増やすまいと、98年度で約580人いた競馬事務局の職員や臨時職員らを10年間で半減。騎手や調教師らに支払う賞金や手当などの賞典奨励費も段階的に引き下げた。移籍時は600万円ほどあったさこ畑騎手の年収も、今では300万円ほどだ。数年前から妻がパートに通い、家計をやり繰りしているという。
「痛みを伴ってでもレースを続けたい」。競馬関係者の強い希望を尊重し、2月から議論を重ねた検討委は答申で、実質黒字を確保という条件つきでレース継続の可能性を残す一方、賞典奨励費のさらなる削減を条件に加えた。
■先細りの移籍先
地方競馬の衰退は激しく、もし福山競馬が廃止になれば、次の移籍先を探すのは容易ではないという。
「答申が出て以来、ずっと心の中に不安がある。だけど、朝から晩までそんなことを考えていたらレースにならない」。競馬を楽しみに来るファンのため、さこ畑騎手はそう自分に言い聞かせ、毎朝の馬の調教と自身のトレーニングに専念する。
今月15日には長女が生まれた。「いつまで走れるか分からないが、できることなら、自分が馬に乗っている姿を娘にも見てほしい」
今月初め、騎手や調教師らでつくる「福山競馬関係団体連合会」の代表らが、福山競馬の存続を求める約1万4千人分の署名を市に提出。「我々には競馬しかない。市長には存続を判断してほしい」と要望した。羽田市長は答申や今年度の収支状況を踏まえ、年度内にも存廃を判断すると表明している。 (朝日新聞)
【写真】早朝、馬場へ調教に出るさこ畑雄一郎騎手=福山市千代田町1丁目の福山競馬場