2011年4月21日木曜日

避難生活「大好きな馬と」 震災で七尾へ、金沢競馬のきゅう務員に


 「ふるさとは必ず復興する。その日まで今を懸命に生きたい」。東日本大震災による福島第1原発事故の影響で、七尾市に避難した福島県南相馬市の國分誠さん(36)、剛さん(33)兄弟が20日までに、金沢競馬場のきゅう務員として再出発した。伝統の「相馬野馬追(そうまのまおい)」で馬を世話した経験を生かし、知人の紹介で厩舎に入った兄弟は、馬とともに確かな一歩を踏み出した。

 南相馬で兄誠さんは会社員、弟剛さんは水道工事業者としてそれぞれの家族を養ってきた。一緒に馬3頭を育て、毎年7月に行われる国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」を支えた。今年も元気な馬を出すはずだった。

 ところが、震災で生活は一変した。ともに自宅は福島原発から半径30キロ圏内。地震の揺れや津波の被害は免れたが、放射線の影響を考え、家を離れざるを得なくなった。

 頼ったのは、1年半前の能登演劇堂ロングラン公演「マクベス」に、剛さんが相馬野馬追のメンバーの一人としてゲスト出演した際に滞在した七尾市だった。3月24日に南相馬市を離れ、誠さんは妻美紀さん(27)と長男陽翔ちゃん(2)、剛さんは妻聡美さん(26)と長男悠ちゃん(1)と一緒に同25日に定住促進住宅に移った。

 生活費を得るため、職を探していた二人は「大好きな馬の仕事に携わりたい」と、マクベス出演時に知り合った金沢競馬場の土屋三男獣医師に相談。髙橋俊之調教師が「馬が好きなやつは大歓迎だよ」と快く引き受け、仮認定の厩務員として4月5日から働き始めた。

 二人は、髙橋調教師や先輩の厩務員から指導を受け、午前4時から午後5時まで調教後の競走馬を洗ったり、厩舎内の清掃や食事の世話などに汗を流す。宿舎に入り、七尾の家族とは離れるが、働く喜びをかみしめる。面接試験の結果、晴れて正式な厩務員として石川県の認定を受けた19日、県営第2回のレースに世話した馬が出走した。誠さんの馬は2着、剛さんの馬が1着。「俺の馬、勝ったよ」。剛さんが家族に電話をかけると、「おめでとう」と明るい声が返ってきたという。

 誠さんは「責任を持って務めたい」と語り、剛さんは「大好きな馬ともう一度頑張っていきたい」と話した。(富山新聞)
【写真】福島県南相馬市から避難し、厩務員として再出発した國分誠さん(左から2人目)と剛さん(右)=金沢競馬場