2011年12月23日金曜日

荒尾競馬:地方最古、23日に83年の歴史に幕 再就職困難、関係者の思いは

現存する地方競馬場では最も古い荒尾競馬(熊本県荒尾市)が23日の最終レースで83年の歴史に幕を下ろす。荒尾市の前畑淳治市長が廃止を正式表明してから3カ月。その歩みは炭鉱の盛衰と重なり、再就職先が決まらない人も多い。関係者はやるせない思いで最終日を迎える。

 ■炭鉱と共に

 今月16日の開催日。最終日を1週間後に控え、いつもより4割多い約1400人が来場した。倍率が表示されたモニター画面をにらみ、競馬新聞を握りしめてレースに入れ込むファン。プレハブ建ての食堂から外を眺める女性店員(74)は「今日はそこそこにぎわっとるねえ」とつぶやいた。ここで働き始めて二十数年。平成の初めごろ店員は8人いたが、今は2人で切り盛りしているという。「昔はすごかったんよ」と懐かしそうに語る。

 荒尾競馬が始まったのは1928年3月。旧三井三池炭鉱の労働者らにとって最大の娯楽だった。80年度には約152億円を売り上げたが97年3月の炭鉱閉山を機に状況は一変。「あれが一番痛かった。あの時からいつかこうなるのではと、みんな思っていたんじゃないですか」と関係者。昨年度の売り上げは約48億円とピーク時の3分の1にまで落ち込んだ。

 競馬組合や市も手をこまねいていたわけではない。02年度から組合の職員削減、騎乗手当カット、さらにネット投票導入や場外馬券発売の受託日数増など改善に乗り出したが、好転しなかった。金曜日の開催だが、8年前から厩務(きゅうむ)員会長を務めている渡辺賢一さん(47)は「他競馬との絡みもあってだが、客商売ならやはり土日に開催しないで人が集まるわけがない」。

 ■困難な再就職

 荒尾市は廃止に伴い、調教師会、厩務員会、装蹄(そうてい)師会などと1人平均94万~780万円の協力見舞金を支給する調印をした。調教師や厩務員、騎手ら現場関係者は102人。12月1日時点で市が把握している再就職先が決定または内定者は40人にとどまる。2人は引退。43人は未定で、中には引退や別の職種を考える人もいるという。ただ残る17人は、市の支援を希望しておらず実態をつかめていない。

 渡辺さんも未定だ。高校卒業後にこの世界に入り、妻と小学生の娘2人の計4人家族。最終レースを見届けない限り、落ち着いて今後を見据える気になれないという。厩舎ごと佐賀競馬に移籍する幣旗吉昭調教師(58)は「他の人はどうするのか」と気にかける。

 九州では01年の中津競馬(大分県中津市)に次ぐ廃止で、地方競馬は佐賀競馬だけになる。佐賀県競馬組合の渕上忠博次長は「一緒に頑張ってきたパートナーを失い、かなり厳しい。佐賀が九州唯一となるので何とか盛り上げたい」と話している。

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 ◆荒尾競馬を巡る主な出来事◆

1928年 3月 熊本県畜産連合会などによる第1回レースが開催され144頭が出走

  55年10月 熊本県と荒尾市による「荒尾競馬組合」発足

69年度     売り上げ10億円を突破

75年度     売り上げ100億円を突破

  94年 5月 園田競馬(兵庫県)と荒尾競馬所属の競走馬が入れ違って出走していた問題が発覚

  95年10月 JRA場外発売所開設

  97年 3月 旧三井三池炭鉱閉山

98年度     単年度赤字に転落

99年度     赤字により荒尾市への繰り入れゼロに

  00年 6月 荒尾・佐賀・中津(大分県中津市)3場で九州競馬スタート

  01年 3月 中津競馬廃止

06年度     累積赤字が10億円を突破

  09年10月 検討会が「11年度までに経営改善困難なら存続断念」を提言

  11年 9月 前畑淳治市長が年内廃止を表明

     12月 最終レース(23日)

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 ■ことば

 ◇荒尾競馬
 熊本県畜産連合会や地元有志が、1928年に第1回となるレースを開催。55年、県と荒尾市による一部事務組合「荒尾競馬組合」が運営を始めた。ピークの80年度には約152億円を売り上げた。これまで市に約87億円を繰り入れ財政を支えてきたが、98年度からは単年度赤字が続き、翌99年度以降の繰り入れはゼロ。約26万平方メートルの跡地活用策は決まっていない。13億6000万円を超える累積赤字の処理も課題。(毎日新聞)