2011年4月8日金曜日

東日本大震災:今こそ武者魂で 「相馬野馬追」に開催危機


 東日本大震災の影響で、7月23~25日に予定されていた国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の開催が危ぶまれている。舞台となる福島県・相馬地方が被災し、多くの「騎馬武者」が愛馬を喪失。東京電力福島第1原子力発電所の放射性物質漏えい事故で、主要会場が屋内退避区域(原発から半径20~30キロ)となった。1000年の歴史を誇る文化財の最大の危機。武者たちは「一騎となろうとも伝統を守ることが地域復興への貢献」とくつわを並べ、出陣への方策を練っている。【高橋昌紀、中島和哉】

 4本の脚に痛々しい傷がある白馬が、寄り添うように頭を近づけてきた。福島県南相馬市原町区の厩舎(きゅうしゃ)。「馬主仲間から預かった大事な『家族』です。野馬追に何とか出場させてやりたい」。乗馬クラブ経営の大滝康正さん(59)が優しいまなざしを注いだ。

 その馬が傷を負ったのは、震災直後の津波に流されたためだ。飼い主の稲田一哉さん(37)が見つけ出した時、海水を飲んで腹が膨れ、脚から流血していた。稲田さんの厩舎も流され、大滝さんが友人の“宝”を介抱することになった。

 大滝さんの厩舎は、屋内退避区域にある。所有する計13頭のうち、7頭を県外避難させており、いつ避難指示が出るかは分からない。大滝さんは「馬と共に相馬の男も女も生きてきた。馬専用の輸送車を準備し、もしもの時に備えています」と話す。

 相馬地方の5地区の武者でつくる「五郷騎馬会」(高田正雄会長)によると、震災前には240頭ほどの馬がいたが、現在は100頭ほどに減っている。地震による直接被害のほか、生き残った馬も飼料不足や厩舎の損壊などが原因で県外に移送されたり、売却されたりした。なかには放れ駒となり、飢餓状態で徘徊(はいかい)中に保護されたケースもあった。

 特に南部の2地区は原発の放射性物質漏れによる避難指示(原発から半径20キロ以内)を受けた。馬を移動させる手段がないため「泣く泣く、厩舎に置き去りにした馬主もいる」(騎馬会)という。馬主自身が家族や家を失うなど、困難な状況にある。

 さらに、甲冑(かっちゅう)競馬や神旗争奪戦などの主要会場となる雲雀ケ原祭場地(南相馬市)が、屋内退避区域に含まれている。原発事故は収束のめどが立っておらず、代替会場の確保も難しいとみられる。

 一方で、外部からの支援の輪は着実に広がっている。全国乗馬倶楽部振興協会(東京)などは飼料を提供し、栃木や群馬など県外の厩舎などが馬の一時避難を引き受けている。騎馬会の高田会長は「危機の時こそ、武士(もののふ)の意地を示し、祭りでお返しをしたい」と話した。

 政府は7日、南相馬市の屋内退避を避難指示に切り替える可能性を示した。しかし、騎馬会では野馬追を開催する方向で、事務局の市などと協議を進める方針だ。同会は馬場が必要な神旗争奪戦などは開催困難だが、騎馬行列などの行事は可能とみている。今月下旬までに幹部役員らを招集し、一定の方向性を決めたいという。

【ことば】相馬野馬追 地方豪族・相馬氏の祖とされる平安時代中期の武将、平将門の軍事訓練が起源といわれる祭り。地元3神社の神事としても伝承される。1978年に国の重要無形民俗文化財に指定された。南相馬市を中心に例年、500騎ほどが参加。3日間の日程で、武者行列や神旗を奪い合う「神旗争奪戦」、奉納用の馬を素手で捕らえる「野馬懸(かけ)」などが繰り広げられる。(毎日新聞)
【写真】相馬野馬追の甲冑競馬で疾走する騎馬武者たち=福島県南相馬市で2009年7月、丸山博撮影