2011年8月30日火曜日

佐賀競馬累積赤字2億4800万円

馬券売り上げ減
 佐賀競馬(鳥栖市)を運営する県競馬組合の定例議会が29日に鳥栖市で開かれ、馬券売り上げの減少などから昨年度末時点の累積赤字額が約2億4800万円に上ったことが報告された。
 同組合によると、佐賀競馬の2009年度末の累積赤字は約6800万円だったが、10年度は景気低迷による馬券売り上げの大幅減で、約1億8000万円の単年度赤字を計上した。
 しかし、今年度の4~8月の発売実績は、インターネットや電話を利用した馬券売り上げが好調で、前年度同期比7・4%増。同組合は「経費の大幅削減と、中央競馬と連携した馬券発売で累積赤字の解消を目指したい」とした。
 ただ、今年度限りで廃止される見通しとなった荒尾競馬(熊本県荒尾市)の場外発売所で、佐賀競馬分の発売実績は昨年度で約12億7000万円。佐賀競馬全体の約1割を占めており、同組合は「場外発売所が廃止されれば、大きな影響を受ける」として関係団体に存続を働きかける方針。(読売新聞)

2011年8月27日土曜日

廃止方針 馬主らの反対相次ぐ 調教師は再就職懸念

 厳しい運営状況から今年度中に廃止する方針を固めた荒尾市。荒尾競馬組合で25日あった関係者との意見交換会で、前畑淳治市長は存廃の結論を問われても答えず「考えをまとめて県と協議した上で決定する」という考えを強調した。結論は9月5日開会予定の定例市議会で発表するとし、それまでに県と協議する。
 発表を9月としたのは、来年度の競馬開催の認可申請準備に入る10月が期限となるため。前畑市長は09年、学識者ら外部委員による荒尾競馬の「あり方検討会」から「09~11年度の収支を見て存廃を判断するのが妥当」との提言を受け、11年度中に結論を出すと表明していた。
 意見交換会では馬主らから、廃止で出走先が九州では佐賀競馬に限られることなどから、廃止反対の意見が相次いだ。廃止した後の十分な補償を求める声も多く出た。同競馬場所属の調教師は「廃止するなら早くして。今なら別の就職先が探せるが、地方競馬はどこも厳しく荒尾より先に別の地方競馬が廃止されれば、そこの関係者で就職先も埋まってしまう」と訴えた。(毎日新聞)

2011年8月26日金曜日

正式表明「9月市議会で」 荒尾競馬問題で市長


 荒尾市の前畑淳治市長は25日、累積赤字13億6千万円を抱える荒尾競馬19 件について、「9月市議会で経営の方向性を示す」と述べ、廃止方針に関する明言を避けた。
 荒尾競馬組合で開かれた臨時議会と、競馬関係者約100人との懇談会でそれぞれ語った。組合の管理者を務める市長は「いろんな角度から検討し、熟慮している最中」と説明。市と共に組合を構成している県とも協議した上で、9月5日に開会予定の定例市議会で正式表明する考えを示した。
 組合の臨時議会ではこのほか、公営企業会計移行後に初算出した資金不足比率が24・8%に上ったことも報告された。
 健全化基準の0%を上回ったため、事業を継続するためには赤字要因の分析や売得[ばいとく]金増の施策などを盛り込んだ経営健全化計画を本年度中に策定する必要がある。組合事務局は今のところ、策定作業に着手していないという。(熊本日日新聞)
【写真】今後について前畑淳治市長に思いをぶつける競馬関係者

2011年8月25日木曜日

赤字続く荒尾競馬、本年度で廃止 荒尾市が方針


 累積赤字13億6千万円を抱える荒尾市の荒尾競馬について、競馬組合(市と県による一部事務組合)を管理する市が本年度限りで廃止する方針を固めたことが24日、分かった。組合管理者の前畑淳治市長が近く、蒲島郁夫知事に方針を伝える。

 市は2009年、学識者らによる荒尾競馬の「あり方検討会」から「09~11年度の収支状況、将来の見通しをもって判断することが妥当」との提言を受け、11年度中に結論を出すとしていた。

 前畑市長は6月、「10年度決算は13年ぶりに約4300万円の黒字だったが、赤字構造から脱却できていない。出走馬が減り、レース編成にも苦慮。全国的に販売状況は厳しく、将来の展望が見えない」と表明。

 市は6~7月、調教師や騎手、厩務員、馬主の代表からのヒアリングや、住民懇談会も開いたが、事業を継続できる好材料は見いだせなかった。10月には来年度の競馬開催の認可申請準備に入る必要があるため、9月市議会を前に廃止の方針を決断したとみられる。

 荒尾競馬は1928年2月に開設。現存の地方競馬では最も長い歴史を持つ。55年からは市と県による一部事務組合が運営。69~98年度は売得金が100億円を超え、市と県に累計約91億3200万円を繰り入れるなど財政に寄与した。だが、三池炭鉱閉山後の98年度以降は赤字に陥った。

 現在、在厩馬は約270頭。廃止に伴い、所属騎手13人と調教師14人をはじめ、厩務員ら関係者約180人が職を失う。市内への経済波及効果は約9億円と試算されており、地元経済への影響も懸念される。

 全国に16ある地方競馬はいずれも売り上げ低迷で存続の危機にあり、馬券の相互発売などで協力し合っている。荒尾の撤退は「九州競馬」を構成する佐賀競馬(鳥栖市)はじめ全国の競馬場にも打撃を与えそうだ。(熊日新聞)
【写真】レース前、厩務員に引かれパドックを歩く競走馬。スタンド、事務棟など、施設も老朽化している=24日、荒尾市の荒尾競馬場

2011年8月24日水曜日

水沢競馬、12月に再開へ 観客スタンドの復旧早まる

 岩手県競馬組合は23日、東日本大震災で競馬場が被災し、休止していた水沢競馬を12月から再開すると発表した。組合は年度内の再開を目指していたが、損壊した観客スタンドの復旧工事が11月末で完了する見通しになった。
 本年度の水沢競馬は12月10日から来年1月9日まで、週末を中心に14日間開催する。重賞レースも3レース組み込み、売上額は計14億7200万円を見込む。
 組合によると、震災後の当初見通しより再開が早まったのに伴い、全体の売上額は97億4400万円から118億5500万円に増加する見込みで、年間収支の見通しも200万円の黒字から9400万円の黒字に上方修正した。
 県競馬組合は震災で、水沢競馬場のほか、盛岡競馬場、釜石や宮古の場外馬券売り場(テレトラック)が被災。盛岡競馬は1カ月遅れの5月に開幕し、テレトラック宮古も6月に再開したが、テレトラック釜石は復旧の見通しが立っていない。(河北新報)

2011年8月22日月曜日

「荒尾競馬で走りたい」女性騎手の卵、小山さん


 来春のデビューを目指し、女性騎手の卵、小山紗知伽[さちか]さん(17)=熊本市出身=が荒尾市の荒尾競馬で研修を始めた。厩舎[きゅうしゃ]に泊まり込んで実習に励む毎日。「荒尾の馬場でレースをしたい」と夢を膨らませている。
 小山さんは昨年4月、騎手を養成する地方競馬教養センター(栃木)に入所。当初13人いた同期のうち、厳しい練習に耐えて研修までこぎ着けたのは7人。女性は小山さんだけだ。
 17日から、所属予定の幣旗[へいはた]吉昭さん(57)の厩舎で実習中。「馬をきちんとコントロールできるようになりたい。息の入れ方、追い方なども学びたい」。先輩騎手らと共に午前4時から6~7頭を調教し、夕方は運動させる。競馬開催日はレースを見学。空いた時間は騎手免許の試験勉強に忙しい。
 センター入所前から小山さんを指導する幣旗さんは「実戦ではどんな馬も乗りこなす腕が必要。いろんな馬に乗って癖をつかみ、技術を磨いてほしい」と話す。競馬場は存廃論議のさなかにあるが、「荒尾でデビューさせてやりたいね」と“親心”を見せる。
 憧れの存在という岩永千明騎手に「分からないことはどんどん聞いてね」と声を掛けてもらった、と喜ぶ小山さん。「厩舎の人たちも優しく迎えてくれ、何とか頑張れそうです」。研修は来年1月まで続く。(熊日新聞)
【写真】「荒尾競馬で走りたい」女性騎手の卵、小山さん

2011年8月12日金曜日

ダーレー“エリート養成所”に日本人2人目女性合格

 ホースマンの「エリート養成所」ダーレー・フライングスタートに、日本人女性が合格した。競馬界とは縁がない家庭で育った亀井まどかさん(22)だ。兄が遊んでいたテレビゲーム「ダービースタリオン」を見て、競馬に興味を持ち、自らプレーしたり、競馬中継、雑誌を見るうちに、サラブレッドの美しさ、魅力にひかれたという。

 ダーレー・フライングスタートとは、サラブレッド業界のリーダーを志す者のための国際研修プログラム。ドバイ首長で、大馬主として知られるシェイク・モハメドが、設立した。世界中の出願者の中から毎年、12名が選抜され、奨学金制度で競馬の専門知識、ビジネススキルを習得できる。

 日本人の合格者は、一期生(05年卒業)の園部花子氏(現ダーレー・ジャパンレーシングディレクター)以来。園部氏から話を聞き、受験を決意した。都内のダーレーのレーシングオフィスでアシスタント業務を行い、学習院大学在学中の昨年、北海道日高町のダーレー・ジャパン・ファームへ。1年間の牧場経験を積んだ。英語での筆記試験、面接を通過して難関を突破。「知識、技術、学びたいことだらけです」と14日の出国を前に目を輝かせる。

 研修は、アイルランドでスタート。2年間で5か国(ほかにイギリス、アメリカ、オーストラリア、ドバイ)を回りながら“英才教育”が施される。「プログラムを通して、将来の可能性を模索していきたい。いずれは日本に戻って、日本の競馬の発展に貢献したいと持っています。競馬はギャンブルのイメージが強いですが、野球やサッカーのように、スポーツとして認知されるようになれば」。大きな夢を胸に、世界へと飛び立つ。(スポーツ報知)

2011年8月11日木曜日

名古屋競馬の宮下騎手が引退 女性の日本最多勝記録


 女性騎手の日本最多勝記録保持者で地方・名古屋競馬所属の宮下瞳騎手(34)が現役を引退することになった。11日に愛知県競馬組合が発表した。
 鹿児島市出身の宮下騎手は1995年10月にデビュー。2005年7月には益田競馬(島根)で活躍した吉岡牧子元騎手の最多勝記録を更新する351勝をマーク。地方競馬通算7795レースに騎乗し、626勝を挙げている。(NEWS47)

2011年8月9日火曜日

女性調教師、史上初のデビュー星!


 8日の浦和競馬1Rでジュピタービギンが逃げ切り、平山真希調教師(31)=浦和=が初出走で初勝利を挙げた。女性調教師としては現役4人目で、デビュー勝ちは初の快挙。「新馬なので走ってみないと分からないからドキドキしました。勝ててホッとしています」。新馬勝ちは開業前から目標の1つに掲げていたもの。それを初戦で達成したのだから今後が楽しみだ。(デイリースポーツ)
【写真】口取りに収まる平山真希師(右端)

福山競馬、4―6月収支黒字

 福山市は8日、福山競馬の本年度第1四半期(4~6月)の収支が4242万円の黒字だったと発表した。東日本大震災の影響で東北、関東地方でレース中止が相次ぎ、福山競馬の馬券をインターネットで購入するファンが増えたとみている。

 4月10日~6月27日に計22日間、開催した。費用22億4301万円に対して収入が22億8543万円あった。売り上げは1日平均9512万円。うちネット販売分は2768万円で、前年度同期の約2・5倍に急増した。市が収支均衡の目安としている1日平均8234万円を、第1四半期は達成した。

 一方で、入場者数は1日平均1655人と前年度同期と比べて約300人減った。

 福山競馬の累積赤字は約20億円。市は本年度以降、年間収支の赤字が濃厚となった時点で廃止を検討する。(中国新聞)

2011年8月6日土曜日

ボートピア誘致の請願を不採択 事実上不可能に

 岐南町の場外舟券売り場(ボートピア)誘致問題で、町議会特別委員会は5日、採決を行い、誘致への賛成を議会に求める請願を反対多数で不採択とした。特別委は全10町議で構成し、町議会9月定例会で正式に請願を不採択とする。国土交通省の通達で、議会が反対しないことが設置の条件となっており、事実上、誘致は不可能となった。

 特別委では、賛成派の議員から「地域の活性化につながる」、反対派からは「ほかの施設を誘致すべきだ」などの意見が出た。採決では委員長を除く7人が反対、2人が賛成した。

 松原秀安町長は取材に「今はコメントを差し控える。9月定例会で不採択とした際に思いを述べたい」と答えた。

 この問題では今年3月、上印食地区の自治会が「地元活性化のため」と、誘致賛成の請願を提出。町議会は「場外舟券売り場の誘致に関する特別委員会」を設置して是非を審議してきた。

 反対する住民は「教育や交通安全の面で良くない」と主張。計画地は厳しい経営が続く笠松町の笠松競馬から約2・5キロと近く、競馬運営への影響も懸念されていた。

 笠松競馬を運営する県地方競馬組合管理者の広江正明笠松町長は「結果を聞いて安心した。ボートピアは笠松競馬に影響があると反対してきた。良識ある結論が出た」と話した。(中日新聞)

シェア全国トップ級 勝負服の老舗が苦境 福島競馬中止で


 競馬のレースで騎手が着る「勝負服」では、全国でもトップクラスのシェアを誇る「河野テーラー」(福島市)が、東日本大震災と福島第1原発事故に翻弄(ほんろう)されている。日本中央競馬会(JRA)福島競馬場(福島市)の開催中止の打撃を受けたばかりか、心ない風評被害も被った。河野正典社長(39)は「稼ぎ時を失った上、自分が仕立てた勝負服の馬が見られないのは、本当にさみしい」と嘆く。

 河野社長はこれまで福島競馬の開催中、全国から訪れる馬主や調教師を相手に営業活動を行ってきた。
 だが、ことしは震災で福島競馬場の建物が損壊して春と夏のレースが中止になったため、セールスの機会を失い、売り上げは例年の半分に落ち込んだ。
 6月には秋のレースも中止が決まり、年内に予定されていた全レースが取りやめに。河野社長は「秋こそはと思っていたので、大きな痛手。来年の春は何とかレースを行ってほしい」と話す。
 原発事故による風評被害も痛かった。河野テーラーの所在地は福島競馬場のすぐ近く。福島市は県内の主要都市では最も放射線量が高い。「そこで作った勝負服は着られない」と、せっかく受けた注文を取り消されたこともあったという。
 「やれることからやるしかない」と、河野社長はJRA美浦トレーニングセンター(茨城県)の厩舎(きゅうしゃ)まで出向いてセールスをしている。
 河野テーラーは合資会社で、1924年創業の老舗。3代目に当たる河野社長は12年前、旅行会社を辞めて叔父の後を継いだ。社員は4人。
 1着の勝負服を作るのに複数の人の手が関わると縁起が悪いとされることから、「最初から最後まで1人の職人で作る」という競馬界の伝統を守っている。
 「競馬界に活気が戻ることが、福島復興のシンボルになると思う」。河野社長は「勝負服の仕立屋は全国にわずか数軒。その伝統を絶やしたくない」と勝負服の製造とセールスに励んでいる。(河北新報)
【写真】伝統の作り方で、丹念に勝負服を仕立てる河野正典さん=福島市桜木町の河野テーラー