2013年3月25日月曜日

「形見のアラブ馬 最高」 福山競馬最終レース


·     福山競馬(福山市千代田町)の競走馬「レッツゴーカップ」のラストランで、全国の地方競馬を長年支えたアラブ馬が、表舞台から消えた。23日のレース終了後、アラブ馬の功績をたたえるセレモニーが行われ、レッツゴーカップにはニンジンが、騎手と調教師と馬主には功労賞が贈られた。福山競馬は24日午後4時30分の最終レースで幕を閉じる。(大森篤志)
 「今日までよく走り続けてくれた。最高の馬だった」。レッツゴーカップに騎乗した渡辺博文さん(46)は、レース後のセレモニーで花束を受け取り、笑顔を見せた。父が厩務(きゅうむ)員として世話をしたレッツゴーカップは2003年に、デビュー。2年前にその父が他界してからは、〈形見〉のように感じるといい、「最後は必ず俺が走る」と名乗り出た。
 レッツゴーカップは数年前、渡辺騎手が所属する厩舎に移ってきた。すでに競走馬としては高齢で、残された時間を出来る限り一緒に過ごそうと、ここ1年は、自身のトレーニングの合間に餌やりや体調管理を行ってきた。全159レース(24勝)のうち、100レースに騎乗、16勝を収めた。
 1986年にデビューした渡辺騎手は、福山競馬一筋に騎手生活を送ってきた。幼少期、多くの競馬ファンでにぎわう福山競馬の華やかさにあこがれた。父や騎手だった8歳上の兄の背中に導かれるように、中学卒業後、栃木の養成機関を受験。3~4倍の難関で失敗を繰り返したが、厩務員として働くかたわら勉強を続け、2年後に合格し、19歳の時にデビューを果たした。その日の内に初勝利も手にした。
 4月、同じく地方競馬の佐賀競馬に移籍する。「半生をともにした競馬場がなくなるのは寂しい。それでも、最後に父が残したレッツゴーカップと過ごせてよかった」と話した。(読売新聞)

福山競馬、63年の歴史に幕閉じる ファン1万人別れ惜しむ

 広島県の地方競馬場「福山市営競馬」で24日、最後のレースが行われ、63年の歴史に幕を閉じた。これに伴い、中国地方の競馬場は姿を消した。レース最終日となったこの日は、午前9時45分の開門前から多くのファンや市民らが姿を見せ、名残を惜しんだ。

 最終日の入場者数は1万273人(事務局発表)で前日23日(約4千人)の倍以上。幼い子を連れた家族連れも目立ち、馬場を背景に記念撮影するグループの姿も。生後10カ月の凌(りょう)甫(すけ)ちゃんを抱いて両親と訪れた前田徳子さん(26)は「このにぎわいがあればつぶれずに済んだのに」。初めて訪れたという市内の会社員、大元浩光さん(39)は「福山競馬という文化がなくなるのは悲しい」と残念そうに話した。
 同競馬場は戦災復興費を捻出するため昭和24年に開設。アラブ系の馬専門の競馬場として人気を集め、馬券売上額は平成3年のピーク時に約345億円に。収益金総額は市の一般会計に繰り入れられ、道路整備や校舎建設などに充てられるなど貢献度は高かった。
 だがレジャーの多様化に伴い収益は悪化。昨年度の累積赤字は18億6900万円に膨らみ、昨年11月、市は3月末で廃止することを決めた。
 最終レースはファン投票で選ばれた4歳以上の馬が出走する「ファイナルグランプリ」。スタンドは最後の歓声に湧き、ラストランを走った騎手それぞれに「お疲れさまぁ!頑張って!」との声が響いた。(産経ニュース)

「アラブ王国」63年の歴史に幕 広島・福山市営競馬


中国地方で唯一残っていた地方競馬広島県福山市営競馬が24日、63年余の歴史に幕を閉じた。赤字のため廃止となり、最後のレースに今期最高の1万273人が詰めかけ、名残を惜しんだ。
 調騎会騎手部会の黒川知弘会長(34)はレース後、「残念な思いを他の競馬場の人が味わわないでいいように、皆さんで他場の応援をお願いします」とあいさつ。騎手が次々と勝負服を脱ぎ、ファンに投げた。ファンたちは最後に開放された馬場に入り、記念写真を撮ったり、騎手にサインを求めたりした。
 1949年9月に開設された。ピーク時の91年度に約345億円あった馬券売上額は、昨年度で約83億円に落ち込んだ。昨年度末の累積赤字額は約18億6900万円。市は、存続が困難だとして廃止を決めた。
 80年代に41戦34勝を挙げ、「最強のアラブ」と言われたローゼンホーマや、昨年7月に地方競馬最多となる55勝を挙げたモナクカバキチなどを輩出し、「アラブ王国」と呼ばれた。(朝日新聞)

広島・福山競馬、大観衆とラストラン 涙とともに幕




 24日で廃止となった福山市営競馬(同市千代田町1丁目)。大観衆が見守る中、惜しまれながら最後の1日が終わった。
 最終の第12レースは、ファン投票選出の10頭が走った。2頭のデッドヒートになったが、最終直線でビーボタンダッシュが逆転した。三村展久騎手(29)は「歴史に残るレースに勝たせてもらい、馬に感謝している」。今後は大井競馬(東京)に移籍して騎手を続ける。
 レース終了後にはセレモニーが開かれ、羽田皓(あきら)市長が「福山市営競馬には、これまで市の発展に多大な貢献をしてもらった。福山、全国の競馬ファンに支えてもらった」と礼を述べた。
 騎手も全員があいさつし、上着や勝負服を脱いで観客に向かって次々と投げた。モナクカバキチが地方競馬最多の55勝目を挙げたレースで騎乗した岡崎準騎手(52)は引退を決め、「福山競馬を忘れないでください」と述べた。下村瑠衣騎手(19)は「ここが大好きでした」と涙ぐんだ。
 この日は、朝から大勢のファンが来場。開門が予定の午前9時45分より10分早まり、第1レースからスタンドが埋まった。開設当初から通っているという神石高原町の無職、池田米雄さん(85)は「昔のような大観衆で懐かしかった。盛大なお別れ会」と感慨深げ。
 廃止と共に閉店する食堂にも多くのファンが訪れた。親子2代で店を守ってきた坂本食堂の店長、坂本万千子さん(60)は、「この日が来るなんて信じられない。今まで多くの人が食べに来てくれて、ありがたかった」と話した。
 全レースとイベント終了後の午後5時半からは約30分間、馬場が開放された。ファンらは騎手と記念撮影をしたり、サインを求めたりしながら、その土を踏みしめた。(朝日新聞)

2013年3月22日金曜日

福山競馬、24日最終レース


 福山市の福山競馬は2324日の開催を最後に63年間の歴史を閉じる。両日とも12レースを構え、計221頭の競走馬が出走予定。市競馬事務局は「最後まで声援を送ってほしい」と呼び掛けている。
 23日は午前1040分スタート。国内で現役唯一のアラブ系競走馬レッツゴーカップ(牡、12歳)が午後0時40分の第5レースで走る。功績をたたえ、表彰するセレモニーもある。
 サラブレッドが台頭する中、福山競馬は2005年11月まで所属の約500頭が全て持久力に優れるアラブ系で「アラブ最後の聖地」と呼ばれた。しかし07年に生産中止。唯一残ったレッツゴーカップも福山競馬の廃止とともに引退する。
 24日は午前10時半に始まり、最終レース「ありがとう!愛と感謝をこめて」は午後4時半から。
 市は、入場門とパドックに63年間の声援に感謝する幕を設置。24日は競馬場近くの芦田川左岸河川敷に臨時駐車場を設ける。福山競馬場=電話084(953)0828。(中国新聞)

最後の「ダービー」大声援


 24日のレースを最後に廃止される福山競馬(福山市千代田町)で17日、同競馬場でデビューした3歳の最強馬を決める「福山ダービー」(9頭立て、1800メートル)が行われた。1日の入場者としては今年度最多の4192人が詰めかけ、迫力あるレースを見守った。
 同ダービーは今回で40回目。例年は5月に行われるが、廃止に伴い前倒しで行われた。レースは1番人気の牡馬(ぼば)カイロスが好スタートを切り、最後の直線で他馬に追い込まれたが、首差で逃げ切った。
 騎乗した佐原秀泰騎手は「スタンドの大声援が聞こえた。勝つことができて本当に気持ちがいい。残りのレースも全力を出したい」と話していた。
 同競馬は18、23、24日にも開催。24日はファン投票で選ばれた4歳以上の馬が出走する「ファイナルグランプリ」が開かれ、有終の美を飾る。(中国新聞)

福山競馬ラストラン


<1>最盛期 年100万人突破

 1949年9月18日、第1回福山競馬が開催された。芦田川の河川敷を固めたコースで、係員が振る旗を合図にスタート。木造スタンドからの歓声が、空襲からの復興が進む周辺に響き渡ったという。
 この日、騎手としてダートを駆けた寺田忠さん(83)は、「賞金よりも、駆け引きに勝ったときの感覚が忘れられない」と、現役時代の思い出を熱く語る。
 父親も騎手で、小学生の頃から馬に乗っていた。18歳で山口県の柳井競馬場(廃止)でデビュー。1年後、福山競馬場開設と同時に移った。
 福山競馬は、当初から順調な歩みではなかった。福山競馬事業概要(2009年度版)によると、初年度の県内競馬場の入場者数は8万6441人だったが、1953年度には3万3205人まで減少。58年度からは2万人台にまで落ち込んだ。
 不人気が続き、60年代は各地で廃止論が巻き起こった。65年度に県と呉市が、68年度に広島市が競馬事業から撤退した。福山競馬でも廃止が議論され、寺田さんも騎手仲間らと、存続を求めて県庁や市役所に陳情に行ったという。
 廃止された呉競馬や広島競馬の開催権は福山市が引き継ぎ、結果的に県内で唯一の競馬場となったこともあって客足が回復した。68年度から、それまでの3倍の年12回開催となり、ファンも定着して入場者は31万人とにぎわいを取り戻した。69年度には40万人を超え、観客スタンドも増築。入場者は年々増え、74年度には最高の104万人を記録。
 寺田さんは「観客も増えてやりがいも出てきた。レースに勝つと割烹(かっぽう)料理屋でのごちそうにありつけた」と振り返る。一方、負けた時は、1本のたばこを他の騎手と半分ずつ分け合って吸い、悲哀をかみしめたという。
 寺田さんは40歳すぎに騎手を引退してからも調教師として計40年以上、福山競馬を支えた。
 福山競馬廃止が決まった直後の昨年12月。寺田さんは若い日に読み込んだ競馬関係の書籍や資料、九州や北海道の牧場を巡り撮りためた競走馬の写真など、段ボール2箱分を捨てた。いつか後輩に譲ろうと、引退後も保管していたが、引き継ぐ先はなくなった。「家の中がさっぱりしました」と寂しそうに笑った。

<2>有終の美 アラブ馬に

 若い頃は先行逃げ切り、円熟してからは慎重なスタートで追い上げる。全国で唯一となったアラブ馬の現役競走馬「レッツゴーカップ」は、福山競馬の終幕とともに、その役割を終える。調教師・柳井宏之さん(38)は「家族同然に一緒にやってきた仲間。最後まで全力で駆け抜けてほしい」と残り少ない日々を惜しむ。
 2003年10月にデビューし、福山競馬で158レースを戦ってきた牡馬(ぼば)。戦績は24勝とさえないが、美しい毛並みの白馬が走路に登場するだけで、ファンの歓声がひときわ大きくなった。
 だがいまや12歳。人間なら50歳近いという。10年夏には脚が化膿して腫れ上がる「フレグモーネ病」という病気にかかった。高齢のため、なかなか完治せず、昨年は3回出場するのがやっとだった。
 柳井さんの知人で、数年前に亡くなった厩務(きゅうむ)員から世話を引き継いだ〈忘れ形見〉でもある。柳井さんは毎日午前0~2時に起床し、厩舎周辺を歩かせて体を温めてあげる。体調を気遣い、わずかな変化にも目を光らせる。「本当は無理して走らせたくないが、最後は有終の美を飾らせてあげたい」と話す。
 レッツゴーカップをはじめとするアラブ馬は、地方競馬を長年支えてきた。サラブレッドよりスピードは落ちるが、持久力に優れる。戦前は軍馬として盛んに飼育され、最盛期の1986年には地方競馬で約1万頭登録されていた。負けん気が強く、走りに味があるとファンが多かった。
 福山競馬でも2004年度までは、所属する約600頭全てがアラブ馬だった。昨年、地方競馬最多勝利記録を更新したモナクカバキチもそうだった。
 しかし、時代は高速レースを見せるサラブレッドが主流に。日本中央競馬会はアラブ馬だけのレースを1995年に廃止。福山競馬でも2007年度にはアラブ馬157頭に対してサラブレッドが260頭と、数で逆転した。
 地方競馬全国協会の担当者は「レースの表舞台から消えるアラブ馬は、地方競馬の隆盛も衰退も見てきた。これも時代の流れだ」としみじみと語る。
 福山競馬が廃止された後、レッツゴーカップは個人の馬主が引き取り、のんびりと余生を過ごすことになっている。最終レースは23日か24日かで調整中という。柳井さんやファンの夢を乗せて、ラストランに臨む。

<3>財政への貢献 今は昔

 三村展久さん(29)が騎手になったのは、中学1年の時に、父親と岡山県井原市の牧場を訪れたのがきっかけだった。調教師は小柄な三村さんを見て、騎手に向いていると勧めた。
 父親の方が乗り気になり、何度も福山競馬の観戦に連れて行かれた。15歳の時に「軽い気持ち」で騎手を養成する機関を受験、180人中15人の狭き門を通過し、自分が一番驚いた。初騎乗は2001年4月、初年度の成績は20勝程度で、ぱっとしたものではなかったという。
 その頃、福山競馬は入場者の減少が続いていた。1999年度に実質収支で8億円を超える大幅な赤字を計上。以降も赤字が続いている。
 福山競馬は半世紀以上にわたって市財政に貢献し、リーデンローズやローズアリーナなど大型施設の建設にも充てられた。一般会計へ繰り出し額の合計は約411億円に上る。最も多かった1978年度は約33億5000万円に達した。JFEスチール西日本製鉄所の福山市進出で大幅に人口が増えた頃で、多くの小中学校や公民館を建設、改築することを可能にし、市民生活の基盤を支えた。
 この頃、競馬場のすぐ前に開店した中華料理店「びんご飯店」の店主の浜村博志さん(69)は「昔は連れだってくる客が多かったし、競馬場に行く前と帰りに寄ってくれる人もいた」と振り返る。開催日は周辺の店に人があふれていたという。
 しかし、レジャーが多様化するなどで地方競馬は次第に勢いを失い、<打ち出の小づち>が、<お荷物>になっていく。
 騎手も減少の一途をたどる。騎手志望者は、試験に合格すると栃木県の地方競馬教養センターで2年間、馬術や競馬のルールを学ぶ。地方競馬全国協会によると、2000年度までは同センターの修了者は年25~30人だったが、ここ数年は毎年1けたにすぎないという。現在、福山競馬場に所属する騎手もたった15人だ。
 三村さんは、走り続けるうちに、次第に競馬の魅力にとりつかれていった。「スピード感、躍動感がたまらない。勝負に勝った時の高揚を味わいたい」。地道な筋力トレーニングや乗馬技術向上の努力を重ね、才能を開花させた。
 昨年度は福山競馬で168勝をあげ、今年度も順調に勝ちを重ねている。廃止決定後、複数の地方競馬場から移籍の打診があり、10年度に短期移籍で2か月ほど走った経験がある大井競馬(東京都品川区)に決めた。
 今年1月に長男・祐人ちゃんが生まれた。競馬を取り巻く環境は厳しいが、「騎手は天職。体力の限り走り続ける」と、福山で培った実力を武器に、新天地での飛躍を誓う。

<4>地元で再就職 難しく

 久方ぶりに顔を合わせた(左から)吉田さん、佐藤さん、久木山さん。厩舎団地での生活、大歓声に沸いた最終開催日のスタンド。思い出話に花が咲いた(熊本県荒尾市で)
 調教師や騎手など福山競馬の運営に直接携わる関係者は100人余り。3月の同競馬廃止でこれらの人は職を失う。平成に入り全国で相次いで姿を消した地方競馬。運営する各自治体は、失職した関係者の再就職支援に力を注ぐが、長年競馬ひと筋で働いてきた人も多く、職探しは容易ではない。
 「珍しか顔が来よった」「元気にやっとーとか」。2月下旬、熊本県荒尾市のお好み焼き店「よしひめ鉄板焼」。2011年末に廃止され、全国に散らばったた荒尾競馬の騎手や厩務員(きゅうむいん)ら約20人が久方ぶりに再会、昔話に花が咲いた。
 同店の経営者・吉田隆二さん(47)は荒尾競馬で通算1824勝、年間最多勝に3度輝いた元スター騎手だ。実績的にも体力的にも十分、他競馬場への移籍が可能だったが、地元の学校になじんでいる子どものことを第一に考え、昨年、旧馬場の近くに店を開いた。
 料理をしたこともほとんどなかった。妻・薫さん(44)の手を借り、納得がいくまで何度も焼き、ソースの調合を重ねた。収入は騎手時代に遠く及ばないが、徐々に固定客もでき始めた。

 「遠方から足を運んでくれるファンもおる。今までもこれからも、支えてくれる人に頑張る姿見せんと」。吉田さんは前を見据えた。
 荒尾市は廃止に合わせて、競馬対策室を設置、周辺市町の企業に競馬関係者の雇用を要請した。職がみつからない人の一部は県の助成を利用し、競馬場跡地管理の職にあてた。
 同対策室によると、今年2月末時点で、失職した関係者102人のうち69人が再就職を決めた。高齢などを理由に引退するなどした人は29人。今も4人が就職先を探している。
 職をみつけた人の半数以上は、県外の競馬場や牧場など勝手を知る競馬関係の仕事だった。他は一般企業などだが、不景気で地元の雇用は少なく、故郷を離れる決断を迫られている。
 同競馬の元騎手・佐藤智久さん(29)は妻(32)と幼い2人の娘とともに北海道安平町に移住。牧場で2歳以下の幼駒(ようく)を競走馬として育成する業務を担当している。
 騎手時代は成績で収入が左右された。今は固定給で生活が安定したが、「住み慣れた土地を離れるのはしんどかった。正直、現役で騎手を続けたい思いもあった」と苦さをかみしめながらの再出発だ。
 競馬とは縁のない新たな道を歩み始めた人もいる。
 30年近く厩務員を務めた久木山満さん(44)はヘルパー2級を取得し、昨年6月から荒尾市の病院で高齢者の入浴や食事を手伝う看護助手として働いている。年下の上司に叱られることもあるが、「人と接するのが好きだったし、今の仕事は満足」と笑顔を見せる。
 「(福山競馬関係者は)境遇が似とっけん、不安やつらさはうちらが一番よくわかる。ばってん、需要のある介護分野など再就職のチャンスはいくらでもある。何にでも挑戦する心を持ち続けてほしい」。久木山さんはそう話した。

<5>跡地の有効活用 白紙

 福山競馬の廃止後、総面積約15ヘクタールの競馬場の跡地はどうなるのか。福山市中心部に位置する広大な一等地だけに、手つかずのままでは市街地の空洞化が心配される。同様に事業撤退した競馬場の跡地利用を取材した。
 蔵王連峰の麓に位置する山形県上山市で2012年、大阪府門真市の医薬品製造会社が真新しい白壁の工場を稼働させた。03年に廃止した上山競馬場の約22ヘクタールの跡地だ。工場の稼働で約240人の新規雇用が生み出された。周辺には地元運送会社の建物も並ぶ。
 「工場の新築移転とタイミングがうまく合った。運が良かった」。市企業誘致推進室の担当者はそう語る。
 上山市は競馬事業の廃止後、市所有の跡地22ヘクタールのうち12ヘクタールを工業用地に造成することを決めた。企業誘致推進室を設置し、地元だけでなく、大都市の企業にも売り込むなど、売却先探しに奔走した。医薬品製造会社が工場の新設を決めたのは07年。市は土地の売却代9億1000万円に加え、賃貸部分で年間4000万円の収入を確保できた。

荒涼とした更地が広がる益田競馬場の跡地。高台から見下ろすとわずかに競馬場の面影が伝わってきた(島根県益田市で)
 同推進室の担当者は「土地の造成費は買い手の負担だったが、県の融資制度を活用するなどした。営業に力を入れたのも奏功した」と振り返る。
 だが、上山市のような成功例はまれだ。競馬事業を廃止した多くの自治体は、跡地活用について苦慮している。景気低迷や財政難などもあり、道のりは険しいという。
 日本海からの風が吹き付ける丘陵地に荒涼とした更地が広がっていた。02年に廃止された島根県益田市の益田競馬場跡地だ。「益田の顔だった競馬場がこげん姿のままになっとるのは寂しいですね」。かつて同競馬の騎手として活躍し、廃止後は福山競馬に移籍した元騎手﨏畑(さこはた)雄一郎さん(31)(益田市)は言う。
 同競馬場の跡地11ヘクタールのうち、活用されているのはほんの一部。県が高等技術校や民間の高齢者施設を建てたものの、大半の土地は更地のままだ。
 益田市は競馬事業廃止後、馬場部分の8ヘクタールを15億5000万円で市土地開発公社に売却した。しかし、丘陵地という地形のため、住宅地や工業用地を整備するにも排水設備工事が難しい。丘陵の裾にある住宅地の排水工事が終わったのは、廃止から10年以上たった昨年3月だった。
 その間も民間金融機関から調達した土地購入費の返済を迫られ、利子だけで年間1700万円に。同公社の田中健事務局長は「土地を長く保有すればするほど赤字は膨らむばかり」と頭を抱える。
 廃止した地方競馬の多くは、市街地に広大な面積を有し、活用次第で大きな経済効果を生み出す可能性を秘める。福山競馬の跡地についても大手スーパーや商業施設が候補としてうわさされている。羽田皓福山市長はこれまでの記者会見で、「関係者の生活支援が最優先。跡地の利用は白紙」としている。

<6>協力金交渉 長期化も

 飼育されていた馬が空になった厩舎。馬房にはかすかに生き物の匂いが残っていた(熊本県荒尾市、荒尾競馬跡地で)
 地方競馬廃止にともない競馬関係者に支払われる「協力金」。多額の繰り入れ金で運営自治体の財政を潤した人たちへの“謝礼”あるいは“退職金”としての意味合いを持つ。だが、交渉では、きちんとした生活補償を求める関係者と、財政難から支給額を抑えたい行政側の思惑がぶつかり合う。他競馬を取材すると、容易に妥結に至らない実情が浮かび上がった。
 「市への貢献を考慮し関係者には出来る限りの支援を行った。一方で、公金を使うため市民にも納得してもらう必要があった」。2011年末で廃止された荒尾競馬(熊本県荒尾市)の末永淳一・市競馬対策室長はそう話す。
 荒尾市は、調教師や騎手など8団体の300人に総額4億1700万円の「協力見舞金」を支払った。

 協力金は失業手当の支給例をモデルにした。調教師などの場合、過去3年間の平均月収の8割に、年齢や勤務期間に応じて3~11か月分を掛け、そこへ再就職と住居移転の支援金を上乗せした。
 年齢が高く収入も多い調教師は1人平均781万円、比較的若年層の多い騎手は同274万円、厩務員(きゅうむいん)同214万円などとなった。各団体との交渉が全て妥結したのは廃止から約1年後だった。
 協力金の支給をめぐって法廷闘争に発展したケースもある。
 中津競馬(大分県中津市)は、01年に事業撤退した。中津市は関係11団体と交渉し、10団体の225人に総額2億円の協力金を支払うことが決まった。
 しかし、市は馬主には協力金を支払わないとしたため、馬主46人が02年、「突然の廃止で損害を受けた」として、賠償金約6億7000万円を求め、大分地裁に提訴した。
 同市総務課によると、1審では馬主側の請求が棄却された。控訴審で裁判所は、市が馬主に積極的に競馬への資本投資を呼び掛けたわけではないとした上で、馬主は競馬事業に欠かせず、廃止時には一定の配慮が望ましい、と和解を勧告。結局、05年に市が馬主側に計2100万円を支払うことで合意した。
 同市総務課の法務担当者は「訴訟はかなり時間がかかり、行政も関係者も消耗した」と話した。
 福山市では現在、調教師や馬主など業種別に協力金について交渉中だ。今月初め支給額について騎手部会とは基本合意した。
 市は3月の一般会計補正予算案では協力金の原資として約3億8000万円を計上した。だが、その内訳は具体的に決まっておらず、残りの団体ともお互いに根気の要る交渉が続く。

<7>“お荷物”解消知恵絞る

 戦後、地方自治体が運営し、収入源としてきた地方競馬。ピーク時の1991年度には全国30か所で1兆円近くの売上高があったが、昨年度、3300億円台にまで落ち込んだ。財政を圧迫する“お荷物”となった地方競馬は、平成に入り13か所が姿を消した。
 今月24日の福山競馬の廃止で、残る地方競馬は全国に15か所。ほとんどは運営が厳しく「連鎖が起きるのでは」と<福山ショック>を警戒する。現状の打開に努力する各競馬場を追った。
 ナイター設備 大型照明から放たれた光が、ダートを疾駆するサラブレッドの馬体を滑らかに照らし出す――。高知市の名所・桂浜にほど近い高知競馬は2009年、1億6000万円かけてナイター設備を導入した。
 同競馬は03年、88億円の累積赤字を、高知県が資金を投入して解消。しかし、113連敗した“スターホース”ハルウララが06年に引退したあとは売り上げが伸び悩んだ。開催時間を他競馬とずらして競合を避けるナイター営業は、収益アップの秘策だった。ライトアップされたレースは迫力があると好評で、ネット販売も好調に推移した。
 09年度の売上高は、前年度の38億円より4割増の54億円。その後も増加を続け、今年度は80億円を超える見込みという。
 県競馬組合の武市隆志管理者は「スピード感のある思い切った対応をするしか生き残る道はない」と話す。
 高知競馬は、福山競馬と競走馬や騎手の交流、馬券販売で連携し、「昼は福山、夜は高知」とPRしてきたが、明暗は分かれた。
 ファン層拡大 実際、高知のように大型の設備投資ができる所は、資金面で限られている。
 佐賀競馬(佐賀県鳥栖市)では今年度から、指定した7レースの勝ち馬を全て当てる「7重勝単勝式」馬券を全国で初めて導入。他の地方競馬から強豪馬を集める「交流競走」も増やした。
 岩手県競馬組合は管轄する2競馬(盛岡、水沢)の情報番組を衛星放送で流し、魅力を全国のファンにアピールしている。
 金沢競馬(金沢市)では地元ラジオで初心者向けに競馬予想紙の見方を解説したり競馬場に招待したりしてファン層拡大を図る。
 いずれもコストをかけずファンに“夢のある競馬”を見せる取り組みだが、始めたばかりの事業で効果は未知数という。
 佐賀県競馬組合の江崎保夫事務局長は「福山の廃止で関係者は危機感を持っている。地方競馬全体が地盤沈下しないためにも全国的に連携していく必要がある」と話す。
二重構造見直しを 地方競馬に詳しい立川健治・富山大教授(競馬学)は、「資金が豊富で強い馬も集まる中央競馬(JRA)に人気が集中するのは必然。中央と地方が共存する二重構造を見直さなければ、地方競馬は消滅する運命にある」と指摘する。
 半世紀以上の歴史に24日で幕を閉じる福山競馬。その衝撃は地元だけではなく、日本の競馬界にも大きな波紋を広げている。(読売新聞)

2013年3月12日火曜日

笠松競馬予算、過去最少 馬券収入減見込む 組合議会可決


 笠松競馬(羽島郡笠松町)を管理運営する県地方競馬組合の定例議会が11日、県議会棟であり、総額114億3666万円の2013年度一般会計当初予算案など3議案を可決した。総額は12年度当初より2.8%減り、馬券の発売収入の減少を見込んで過去最少規模とした。歳出削減のため馬主や騎手らに支払う賞金・手当総額の15%削減を継続。組合の一般職の給料の6~12%カットも続ける。
 13年度は12年度と同じ95日間、計980レースを開催する予定。歳入では、馬券収入は収益率の高い本場などでの売り上げ減少などを予想して、12年度当初比2億3800万円(2.2%)減の107億5500万円。ただ、このうち、日本中央競馬会(JRA)のインターネット投票会員への発売については12年度の実績より約2億円増の3億7800万円を見込んだ。発売日数が12年度の16日間から42日間に増え、基幹レースのオグリキャップ記念(4月)やプリンセス特別(11月)も発売できるため。
 歳出ではJRA会員へのネット発売を伸ばすための共同広報経費を計上。新たに全国のスポーツ紙などで対象レース出走馬の詳細情報を提供したりBSデジタル放送の競馬専門チャンネルでレースを放映する。支払いが猶予されてきた地方競馬全国協会に納める交付金3183万円も上乗せ計上。同規模の支払いが10年間続く予定。(岐阜新聞)

2013年3月11日月曜日

ホッカイドウ救済に見る「地方競馬の惨状」…一人勝ちJRAとのあまりの〝落差〟


 サラブレッドのほとんどが故郷とする北海道。JRAも2つの競馬場を主催しているが、それとは別に地元に根付いた地方競馬「ホッカイドウ競馬」が裾野を支えてきた。しかし、道が主催するそのホッカイドウ競馬も他の地方競馬同様、長年の赤字続きで存廃の崖っぷちに立つ。さきごろJRAの馬券発売が決まり、黒字への道筋がついたと関係者はホッと一息だが、その現状とは-。
 
待ち望んだ乗り入れ発売
 中央競馬の馬券を今春からホッカイドウ競馬と大井競馬で発売する-とJRAが今月4日、発表した。黒字経営の大井はさておき、万年赤字であえぐホッカイドウ競馬にとってはまさに「救いの手」。JRAとの乗り入れ発売を起死回生策にしたいというのは、長年の夢だった。
 全国にファンがいるJRAの馬券は売れ行きがいい。その発売を代行すれば「業務協力金」という名目で委託料が入ってくる。自前の馬券が不調なホッカイドウ競馬にとっては経営の大きな柱としてノドから手が出るほど欲しかった収入源なのである。
 ただし、手放しでは喜べない。大金持ちのJRAは場外馬券売り場などを設置する際、入念に地元と協議を重ね、駐車場整備や警備態勢など過剰と思われるほど資金を投入する。その流れで乗り入れ発売する地方競馬にも同レベルを求める傾向が強い。足腰の弱っているホッカイドウ競馬にはこれが骨だった。
この問題は、すでに昨春の道議会で取り上げられており、農政部長が答弁に立ち「できる限り多くの場外で発売が可能となるよう調整したい」と奥歯にモノの挟まった物言いをしたが、理由はここだった。
 
赤字で地方競馬は死屍累々
 2兆円超の売り上げを誇る巨人JRAばかり見ているとわかりにくいが、地方競馬の運営は大井など一部を除けばどこも火の車である。レジャーの多様化のせいだとか、不景気のせいだとか原因はいろいろ言われているが、結果としてどこも赤字が大きく累積している。
 経営難で今月24日の開催を最後に廃止となる福山競馬(広島県)。ここも数年前から存廃を議論され、とうとう黒字が出せず主催の市は努力を断念した。
 バブル崩壊以後、立て続けに地方競馬が廃止されていったのはご存じの通り。2000年以降を見ただけでも、中津(大分県)▽新潟▽三条(新潟県)▽益田(島根県)▽かみのやま(山形県)▽足利(栃木県)▽高崎(群馬県)▽宇都宮(栃木県)…と、これだけある。かつて競馬が元気だったころは、億単位の売り上げを誇り地方財政に大きな貢献をしてきたが、経営難に陥るとあっさり切り捨てられてきた。
 一方、JRAは同時期、わが世の春を謳歌(おうか)していた。最盛期に比べれば見劣るにしても、常に黒字をたたき出し、大レースになればスタンドは満員。ファンより係員の数の方が多いといわれる地方競馬とは別世界だった。
同じ競馬なんだから、援助の手を差し伸べたら? 誰もが思うことだが、JRAの腰は重かった。前述の通り地方の競馬場がバタバタ倒れていくのを横目で見つつ、とっかかりの馬券乗り入れ発売さえ、延々と協議と調整ばかりを繰り返していた。
 中でも赤字額で群を抜くのがホッカイドウ競馬。2011年度末の単年度赤字は約2億4000万円。計算方法を変更したためデータが少し古いが、09年度末で累積赤字は約240億円。01年から道による再建計画がスタートしたものの道は険しい。「単年度収支が均衡しなければ廃止」という高いハードルを道議会から突きつけられつつ、年度末になると恒例行事のように存続が協議される。まさにそんな“崖っぷち”の状況が続いている。
 この間、道サイドは赤字返上に最も効果が期待できるJRAの馬券発売を熱望していたのに、決まったのはやっと今月。いかにJRAの腰が重かったかが分かる。
 ある競馬関係者は「日本でもっとも牧場が多い馬産地の競馬がなくなるのはイメージ的にも悪いし、中央競馬にとってもマイナスだ。ホッカイドウ競馬が廃止になれば、共倒れする牧場だって多いのに…」とJRAの対応の遅さに苦言を呈する。
 ようやく実現したJRAの馬券発売が馬産地の競馬を救うことができるか。今後に注目だ。

2013年3月9日土曜日

東京都競馬、若者のギャンブル離れに悩む “脱・競馬依存”を志向


「東京シティ競馬(TCK)」の愛称で親しまれる大井競馬場(東京都品川区)。「トゥインクルレース」と呼ばれるナイター競馬を開催するユニークな競馬場である。その大家が東京都競馬。東証1部上場の企業だ。群馬・伊勢崎オートレース場(伊勢崎市)のオーナーでもある。ただ、その社名とは裏腹に、東京都競馬にとって目下の課題は“脱・競馬依存”である。ファンの中心層に高齢化が進み、参加人口が縮小を続ける競馬に頼らない収益構造をつくろうとしているのだ。

東京サマーランドを大改装へ

東京都競馬は222日、向こう5年間の中期経営計画を発表した。目を引いたのは、競馬場に次いで収益柱の一つとなっているプール遊園地「東京サマーランド」(東京都あきる野市)の強化やM&Aも含めた新規事業の育成などだ。
東京都競馬は今後、東京サマーランドの敷地内に0.9メガワットの太陽光発電システムを設置。20144月から売電事業にも参入する。大井競馬場は施設をコンパクト化して経費を抑制する一方で、周辺エリアの森と水(海)を生かした総合レジャー公園への脱皮を図っていく。東京サマーランドも14年をメドに大改装。本館ドームのリニューアル、大型スライダーの導入や、シルバー世代を誘引できる新たな事業・施設の設置なども検討していく。
競馬施設事業とオートレース施設事業は「公営競技事業」にまとめ、間接経費などを合理化。一方でシナジーも求めるため、134月に伊勢崎オートレース場に場外馬券売り場を開設。公営競技ファンの相互利用を促していく。
さらに、保有資産を活用した事業や既存事業とシナジーが見込める分野への進出を検討し、既存業態周辺でM&Aの活用も積極的に検討していく方針だ。
倉庫事業を行う勝島と平和島(東京都大田区)は、羽田空港や東京港に近く、都心とのアクセスも良い。倉庫は大手運輸企業への1棟貸しが基本で、空室リスクがなく賃料収入が安定している。羽田の国際化による発着枠の拡大など、今後も貨物便や輸送量の増加が期待できるため、収益柱であり続ける。今後は新たな事業用資産の取得で収益力を強化していく。
倉庫を底支えに、他事業のコスト圧縮とシナジーによる収益力強化で、新たな成長軌道入りを目指す。

大井の立地を生かした倉庫事業が収益の柱

東京都競馬の前年度(201212月期)の決算は、売上高161億円(前期比6.5%増)、営業利益25.9億円(同20%増)。増収増益だが手放しで喜べない。というのも、これは東日本大震災後に起きたギャンブルの自粛がほぼなくなって、正常化したことが主因だからだ。00年代の最高益である08年度の水準(営業利益34億円)を稼ぐほどではない。
前年度業績を分解してみると、競馬やオートレースは開催日の増加が寄与した。東京サマーランドは営業日数を増やして攻勢をかけたが、水道光熱費やテナント委託費などが膨らみ、部門別でみると若干の赤字だった。 
実は、現在の稼ぎ頭は倉庫賃貸。立地のよさを生かして収益を上げており、部門別の利益をみると、大半が倉庫賃貸で稼いでいるのが実態である。

公営ギャンブルはハイテク化も及ばず漸減か

今年度(1312月期)は、公営ギャンブルは漸減傾向だろう。在宅投票のスマートフォン対応などハイテク化も進めるが、ファン層全体の高齢化や若者のギャンブル離れを食い止めるのは難しい情勢だ。
となれば、競馬に頼らない収益構造の確立は、喫緊のテーマである。すでに稼ぎ頭が倉庫となっている東京都競馬だが、社名と実態との乖離がますます進むことになるだろう。(東洋経済)

笠松競馬:馬券売り上げ3年連続最低 今年度106億円、知事「がけっぷちの状況」


 笠松競馬(笠松町)の今年度の馬券売上高が、3年連続で過去最低の106億円となる見通しであることが分かった。単年度収支は8000万円近くの赤字となるという。このまま推移すると赤字補填などに使える基金が14年度末に底をつく可能性もあり、古田肇知事は県議会本会議の一般質問で「がけっぷちの状況」と答弁した。
 県笠松競馬支援室によると、11年度末の基金総額は約2億7300万円で、今年度は約6500万円を取り崩した。さらに来年度からは、財政難のため5年間猶予されていた地方競馬全国協会(NAR)への交付金(05から10年度分)の返済が始まるため、年間3200万の負担が加わるという。
 笠松競馬は日本中央競馬会(JRA)との連携を強化して増収を目指す。来年度はJRAのインターネット会員への馬券販売が可能な日数が3倍になる。今年度の売り上げは1日約1000万円で、うち1割強が笠松競馬の収入となっているという。(毎日新聞)

2013年3月8日金曜日

福山競馬赤字で15億円充当


 福山市は、3月末で廃止する福山競馬事業の累積赤字18億6900万円を穴埋めするため、一般会計から15億7300万円を支出する。7日、開会中の市議会定例会へ追加提案した12年度補正予算案に盛り込んだ。
 競馬事業特別会計の閉鎖に伴い、累積赤字の穴埋めのほか、地方競馬全国協会の補助金返還4800万円、分割で支払ってきた非常電源装置の残金2300万円などの整理が必要となる。一般会計からの支出とともに、競馬関連の基金5億9400万円全額を取り崩すなどして対応する。
 このほか、調教師や騎手たち競馬関係者に支払う協力金として、新たに3億8千万円を一般会計補正予算案に計上。昨年12月に確保した2億円と合わせ、計5億8千万円に増やして支払いに備える。(中国新聞)

浜松に地方競馬の場外馬券発売所-1人1台モニター完備した特別席も



 浜松・鍛治町の「かじ町プラザ」(浜松市中区鍛冶町)3階に225日、地方競馬の場外馬券発売所「ジョイホース浜松」がオープンした。設置者は川崎競馬場。
 同ビルの4階には日本中央競馬会(JRA)の場外発売所「エクセル浜松」が2011年に開設されているが、地方競馬の馬券売り場としては県内初となる。
 発売所の広さは480坪。600人が収容可能な施設内には大型ビジョンを複数設置した一般席と11,500円で利用できる特別席を設ける。特別席は1席にモニター1台を設置し、利用者が見たいレース映像やオッズをその場で確認できる。
 馬券は平日を中心に年間270日程度発売する予定。川崎競馬を含めた南関東にある競馬場で行われる全レースを発売する。ほかに東海地区の名古屋や笠松競馬場をはじめとした地方競馬のレースも同時発売する。
 同所を運営するシティーリゾートの久高隆さんは「浜松の方に中央競馬だけでなく地方競馬の良さをお伝えすることができれば」と意気込みを話す。
 営業日・時間は不定期。入場には会員登録(2年間=2,000円)が必要。申し込みは同所で受け付ける。(浜松経済新聞)

【画像】席に1台ずつモニターが設置され、客の見情報を確認できる特別席たい

2013年3月4日月曜日

北海道と大井などで発売 地方競馬施設でJRA馬券


日本中央競馬会(JRA)と地方競馬全国協会(NAR)は4日、JRAの馬券を地方・ホッカイドウ競馬の場外発売所や門別競馬場など北海道の16カ所と大井競馬場(東京)、オフトひたちなか(茨城)で発売すると発表した。北海道は23日、大井競馬場とオフトひたちなかは4月7日から発売を開始。前日発売は行わない。北海道の発売所は門別競馬場、旭川レーシングセンター、ハロンズ岩見沢と、小樽、滝川、苫小牧、静内、中標津、千歳、江別、石狩、登別室蘭、くしろ、函館港町、札幌駅前、札幌中央の各Aiba。札幌駅前と札幌中央はJRAの各競馬場のメーンレースのみ、その他は全レースを発売する。大井競馬場とオフトひたちなかはJRAと大井競馬の開催が重なる日の正午以降のレースが対象となる。(産經新聞)