2011年12月31日土曜日

名古屋けいば廃止も検討 愛知県など、13年度に結論


 愛知県、同県豊明市、名古屋市でつくる愛知県競馬組合(管理者・大村秀章知事)は、経営不振が続く名古屋けいば(名古屋市港区)に関し、廃止も含め検討する方針を固めた。2012年度に有識者で組織する経営改革委員会(仮称)を設置し、13年度半ばまでに結論を出す。大村知事は年明けにも組合議会に意向を伝えるが、議員らの反発も予想される。
 経営改革委は学識経験者や経済人、報道関係者、経営コンサルタントらで構成する。組合議会でも議員らが「あり方検討会」を既に設置しているが、これとは別に第三者の視点で今後の事業運営を議論する。
 名古屋けいばは、1949(昭和24)年に事業を開始。ピークの74年度には売り上げが735億円あったが、レジャーの多様化などで入場者数が年々減少。10年度は160億円と、4分の1以下に落ち込んだ。採算ベースでも92年度から04年度まで13年連続して赤字を計上した。
 組合では保有する駐車場を売却して施設の改修費にあてるなど節約した結果、05年度以降は黒字に転換。しかし、10年度に再び赤字となり、11年度も東日本大震災の影響による個人消費の落ち込みなどで、2年連続の赤字が予想される。
 組合の抱える累積赤字は40億円で、競馬場の耐震化や厩務(きゅうむ)員宿舎の改築費用など今後も支出は増大する見込み。経営環境が一段と厳しさを増す中、大村知事は県を中心に関係する自治体財政の悪化につながりかねないとして、存廃を検討することにした。
 名古屋けいばでは競馬組合の職員、調教師、厩務員、馬券販売所や食堂の従業員など、約700人が働く。廃止になれば、雇用問題が発生するのは必至だ。
 関係者によると、名古屋競馬場の土地20ヘクタールや建物、弥富トレーニングセンター(愛知県弥富市)の土地77ヘクタールなどは組合の所有で、時価は計400億円ほどとみられる。累積赤字がさらに膨らむ前に清算すれば、関係者に補償費を払っても、自治体からの持ち出しなしに済ませられるとの見方が出ている。(中日新聞)
【写真】廃止も含め検討される名古屋競馬場=名古屋市港区で、本社ヘリ「あさづる」から

2011年12月27日火曜日

荒尾競馬:組合、騎手と見舞金合意 1人平均274万円で

荒尾競馬組合(管理者=前畑淳治荒尾市長)は26日、競馬事業廃止に伴う協力見舞金の支給額で合意した騎手部会(13人)と確認書に調印した。妥結額は総額約3560万円(1人平均約274万円)。

 調印式には騎手8人が出席し、前畑市長が「皆さんのご協力のお陰で、23日の最終レースが無事できました」とあいさつした。吉田隆二部会長(46)は「気が抜けた状態で23日以降、厩舎(きゅうしゃ)にも行っていない。(馬がいなくなった)がらがらの厩舎は見たくない」と話した。

 他の競馬場に移籍が決まったのは4人で、騎手を断念する人も多いという。牧野孝光さん(47)ら6人は北海道の同じ牧場に就職が決定。牧野さんは家族3人を残し、単身赴任する。「馬に関わる仕事しかできないので熊本を離れることは仕方ない。中央競馬のG1レースに出られるような馬を育てたい。そういう夢もできた」と話した。(毎日新聞)

2011年12月26日月曜日

金沢競馬 来年度収支均衡の見込み

金沢競馬の経営改善について話し合う経営評価委員会は、26日、来年度は赤字穴埋めのための税金の投入には至らないとの見解を示しました。施設の補修費用や賞金などのコストカットを進めるとともに、来年10月には金沢競馬の馬券をJRAの会員が携帯電話で購入できるシステムが導入されることから、収益が改善するとして600万円の黒字を見込んでいます。(北陸朝日放送)

競馬売り上げが見込み上回る

福山市が運営する福山競馬は25日、本年度第1~3四半期(4~12月)のレースを終えた。1日当たりの売り上げは8327万円となり、当初予算で見込んだ8234万円を約1・1%上回った。

 72日間開催し、総売り上げは59億9573万円だった。63日間だった前年度同期に比べて約16・6%増えた。1日当たりでは約2・0%の増加となった。入場者数は計11万3258人で、前年度同期比約3・7%の減。1日当たりは1573人で約15・7%減った。

 市は実質単年度収支の黒字を事業継続の条件とする。1日の市議会本会議では「現行水準の発売収入なら収支確保できる」と説明。来年度の継続は「収支バランスを慎重に見極めて判断したい」としている。(中国新聞)

2011年12月24日土曜日

荒尾 歓声とため息



 23日にフィナーレを迎えた荒尾競馬。ファンや関係者の様々な思いが交錯するなかで、83年の歴史に幕を閉じた。
 約9千人が詰めかけたスタンドから、大きな歓声と悲鳴が響いた。荒尾競馬最後のこの日の第9レース。12番のサマービーチが、スタートから先頭を切り、そのまま逃げ切った。
  騎手は荒尾に30年在籍した牧野孝光さん(47)。1981年のデビュー以来、ずっと荒尾で走ってきた。9年ほど前に鎖骨を粉砕する大けがを負ったが、現役を続行。だが、今年9月、荒尾市が年度内での競馬場の廃止を表明した。
  「やっぱり悔しかったですよ」と牧野さん。その分、このレースにかけた思いは強かった。「最後を勝利で飾れて、悔いはありません。ただ、終えてみると、こみ上げてくるものがありますね」。今後は、北海道の牧場で競走馬を育てるという。
   ◇   ◇
  最終日を迎えたファンや関係者の思いは様々だ。スタンドでレースを見守った常連の西村和孝さん(58)は「鼻差で1着を争うような、あの瞬間が何とも言えないんだよ」と話す。三井三池炭鉱で働いていたと言い、「閉山後は別の仕事に就いたけど、ここにくれば、かつての仲間にも会えた。廃止されるのはさびしかね」とこぼした。
  食堂で40年近く働いてきた福島征子さん(74)は「今日は本当に人がいっぱい。だけど、炭鉱があったころはいつもお祭りのようでしたよ」と懐かしんだ。
  厩務(きゅうむ)員の渡辺賢一さん(47)は最終レースを終え、「関係者みんなで一つの村みたいだった。またいつかみんなで会いたいな」と目を潤ませた。最終日までは再就職については考えられなかったと言い、「明日から探し始めます」と話した。
  01年廃止の中津競馬(大分県中津市)から移籍してきた騎手の杉村一樹さん(33)は川崎競馬(川崎市)に移る予定。地方競馬全体が落ち込んできているが、「自分にはこれしかないんで。また向こうに行ったら、新人みたいな気持ちで頑張りたい」と口元を引き締めた。
   ◇   ◇
  レース後のセレモニーでは、組合の管理者である前畑淳治・荒尾市長が「心の中の大切な思い出として荒尾競馬を残してほしい」とあいさつ。調教師と騎手でつくる県調騎会の平山良一会長(63)は「まだまだ続けたかったが、世の流れかなとも思う。いままで応援していただき、本当に幸せでした」とファンにお礼を述べた。
(塩入彩)
  荒尾競馬 1928年開設。55年から荒尾市と県が構成する一部事務組合が運営し、総額約91億円の収益金が市と県に分配された。だが、三井三池炭鉱の閉山やレジャーの多様化で98年度以降、赤字経営に転落。97年度に約57万人いた客は2010年度に約8万人にまで減少。売り上げもピーク時の約159億円(92年度)が約49億円(10年度)に落ち込み、10年度末時点の累積赤字は約13億6千万円に上っていた。 (朝日新聞)
【写真】(上)最終レースを走り終えた競走馬と騎手に観客が拍手を送った=いずれも荒尾競馬場。(下)最終レース後、着用していたゴーグルを観客にプレゼントする騎手

響く惜別ファンファーレ 荒尾競馬“終幕”ドキュメント





 83年の歴史を刻んだ荒尾競馬20+ 件場(荒尾市)は23日夕、静けさに包まれた。未明の調教、スタンドの人波、ざわめき、食堂のにおい、馬の息遣い、笑顔と涙…。そして「さようなら」の声が最後に響き渡った。
 4時00分 有明海に臨む馬場は星空に覆われている。東には細い三日月。静寂の中、競走馬がクーンと鳴いた。
 4持52分 パカッ、パカッ…。この日のレースに出場せず、他の競馬20+ 件場に移籍する馬の調教が始まる。
 5時30分 ニット帽にダウンジャケット姿で調教に見入る福岡県筑紫野市の会社員男性(36)の手にはカメラとメモ帳。「競馬20+ 件の魅力はレースだけじゃないんです」
 8時50分 入場門前でイベントや出店の準備が進む。毎週朝市を開き、ミカンやキュウリを売ってきた荒尾市の農業河島チヨコさん(80)は「いろんな人と会って話をするのが楽しみだった。今日は最後だから頑張って売らないと」。
 8時55分 入場門そばには厩務(きゅうむ)員会のグッズ販売会場も。準備に追われていた渡辺賢一会長(47)は「(最終日が)夢であってほしい。きょうはお客さんがびっしりと入った昔の荒尾競馬の姿を見たい」。
 9時10分 開場。行列をつくっていた300人以上のファンが次々に門をくぐる。先頭で入場したのは山鹿市の会社員、中島良二さん(55)。「いつもは一人で来ていますが、夫婦で6時から並びました。荒尾は海の近い、本当にいい競馬場だと思う」
 9時15分 厩務員の子供たちが「馬のたてがみのキーホルダーを買ってくださーい」と元気に呼びかけ。厩務員会は「84」と入ったきょうのためにつくったジャンパー姿。数字は「来年2月で荒尾競馬は84周年だから」(渡辺会長)。
 9時20分 開店時間を前倒しして、騎手のグッズなどのチャリティー販売が始まる。京都府宇治市の会社員、佐古田高志さん(35)は荒尾の紅一点騎手で佐賀競馬に移籍する岩永千明さん(29)のゼッケンを手に入れた。「男性に見劣りしない、腕っぷしにほれています」と笑顔。
 9時35分 入場者の波が途切れない。ファンを出迎えていた竹原孝昭馬主会長(64)は「始まりがあれば、終わりもある。やっぱり残念だね。3月に会長になったばかりで、何とか立て直そうと皆で話し合っていたんだが…」。
 10時20分 第1レース発走前。発券所に長蛇の列ができる。40年間、荒尾競馬に通っているという福岡県大牟田市の男性(71)は「見慣れない顔が多いなー」とつぶやいた。
 10時32分 第1レースが始まる。スタンドには多くのファン、家族連れの姿も目立つ。荒尾所属のジーエスイワンコフが1着となった。
 10時59分 第2レース直前、40年以上、立ち売りスタイルで予想屋を続けてきた田中勝喜さん(76)は「こんなににぎわうのは20年ぶりかな。正月みたいだ。みんな、別れを惜しんでいるんだろう」と言い残し、レースを見に行った。
 12時25分 出走ゲートそばの児童公園は体験乗馬コーナーが設けられた。馬に揺られる子供たちの歓声が響く。
 12時45分 第5レースが始まる直前の検量所前に、調教師と騎手でつくる「調騎(ちょうき)会」会長の調教師平山良一さん(63)の姿が。「残念という気持ちと、無事に終われそうだという思い、まだ行く先が決まっていない人たちを案ずる気持ち、いろいろな思いが重なっている」
 13時45分 3階特別観覧席は680全席が埋まり、入場制限。ジュースの自動販売機に「売り切れ」の文字が並ぶ。
 14時20分 スタンド上段で、焼酎の入ったコップを片手に馬場を見つめていた荒尾市の男性(63)は「悲しい。35年くらい前は毎日(観客がいっぱいの)こんな状態だったのに。(廃止が)何とかならないかなあ、と思うよ」。
 15時15分 最終第9レース「さよなら・感謝・荒尾競馬」を走る12頭が、移籍先の佐賀競馬20+ 件でデビューを目指す騎手の卵、小山紗知伽(さちか)さんの馬に先導されて、出走ゲートに向かう。最後のファンファーレが鳴り響き、満員のスタンドから大きな拍手が湧き起こる。
 15時18分 牧野孝光騎手(47)が乗るサマービーチが最後にゲートに入った。実況の北本誠アナウンサー(35)は「千秋楽結びの一番、態勢完了!」とアナウンス。
 15時19分 最終レースがスタート。サマービーチが抜け出し、スタンドに馬券の紙吹雪が舞う中、独走で有終の美を飾った。「マ・キ・ノ、マ・キ・ノ!」「ありがとう!」とスタンドから歓声が上がる。牧野騎手は「最後を締めくくれて良かった。30年間、悔いはない」と笑顔。
 15時39分 騎手たちが中央のステージにあがり、表彰式が始まる。観客にレースで使ったムチを投げ、プレゼントするシーンも。
 15時43分 ステージ上の騎手たちをスタンドで見つめる荒尾市の会社員、矢ケ部徹さん(50)。荒尾で騎手としてデビューし、調教師を経て、5年前に引退した。「将来の展望が見えず、辞めた。ただ、できれば荒尾は自分が死んでから終わってほしかった」
 15時53分 競馬20+ 件場そばの厩舎団地はひっそりと静まり返っていた。厩務員の野田孝昌さん(35)が、最終レースを走り終えた馬の体を丁寧に洗う。「けがをせず、無事に終わることができたのは良かったです」。同僚の石松進一朗さん(42)は「馬も3分の1くらいに減った。寂しいね」。
 16時00分 ステージ上で騎手たちが調教師に花束を贈呈。記念撮影も始まった。
 16時14分 岩永騎手が「私は荒尾競馬が大好きです」と言葉をつまらせながらあいさつ。
 16時20分 馬場を一般開放。ファンが薄暮の馬場に入り記念撮影などを楽しむ。東京都練馬区の自営業、田島聡博さん(47)は息子の広志君(12)と一緒に入り、砂をペットボトルに詰めた。田島さんは「観客との距離感の近い公営競馬20+ 件が好きだった」と話した。
 16時32分 厩舎団地の入り口近くにある馬の守り神「馬(ば)頭(とう)観音」を矢ケ部さんが訪れた。「辞めて以来だから5年ぶり。競馬で生活してる人間は、なかなか離れづらいんだよね…」と今後に不安を抱える元同僚たちを気遣った。
 17時13分 スタンドの人影がまばらになり、場内放送の「蛍の光」のメロディーが海沿いの馬場を包んだ。(西日本新聞)
【写真】 (上)大勢の観客が詰め掛けた荒尾競馬。最終レースには拍手が送られた。(中)最終レースに勝利、観客に手を振り応える牧野孝光騎手。(下)レース後、開放された夕暮れの馬場を歩く観客

響く惜別ファンファーレ 荒尾競馬“終幕”ドキュメント




 83年の歴史を刻んだ荒尾競馬20+ 件場(荒尾市)は23日夕、静けさに包まれた。未明の調教、スタンドの人波、ざわめき、食堂のにおい、馬の息遣い、笑顔と涙…。そして「さようなら」の声が最後に響き渡った。
 4時00分 有明海に臨む馬場は星空に覆われている。東には細い三日月。静寂の中、競走馬がクーンと鳴いた。
 4持52分 パカッ、パカッ…。この日のレースに出場せず、他の競馬20+ 件場に移籍する馬の調教が始まる。
 5時30分 ニット帽にダウンジャケット姿で調教に見入る福岡県筑紫野市の会社員男性(36)の手にはカメラとメモ帳。「競馬20+ 件の魅力はレースだけじゃないんです」
 8時50分 入場門前でイベントや出店の準備が進む。毎週朝市を開き、ミカンやキュウリを売ってきた荒尾市の農業河島チヨコさん(80)は「いろんな人と会って話をするのが楽しみだった。今日は最後だから頑張って売らないと」。
 8時55分 入場門そばには厩務(きゅうむ)員会のグッズ販売会場も。準備に追われていた渡辺賢一会長(47)は「(最終日が)夢であってほしい。きょうはお客さんがびっしりと入った昔の荒尾競馬の姿を見たい」。
 9時10分 開場。行列をつくっていた300人以上のファンが次々に門をくぐる。先頭で入場したのは山鹿市の会社員、中島良二さん(55)。「いつもは一人で来ていますが、夫婦で6時から並びました。荒尾は海の近い、本当にいい競馬場だと思う」
 9時15分 厩務員の子供たちが「馬のたてがみのキーホルダーを買ってくださーい」と元気に呼びかけ。厩務員会は「84」と入ったきょうのためにつくったジャンパー姿。数字は「来年2月で荒尾競馬は84周年だから」(渡辺会長)。
 9時20分 開店時間を前倒しして、騎手のグッズなどのチャリティー販売が始まる。京都府宇治市の会社員、佐古田高志さん(35)は荒尾の紅一点騎手で佐賀競馬に移籍する岩永千明さん(29)のゼッケンを手に入れた。「男性に見劣りしない、腕っぷしにほれています」と笑顔。
 9時35分 入場者の波が途切れない。ファンを出迎えていた竹原孝昭馬主会長(64)は「始まりがあれば、終わりもある。やっぱり残念だね。3月に会長になったばかりで、何とか立て直そうと皆で話し合っていたんだが…」。
 10時20分 第1レース発走前。発券所に長蛇の列ができる。40年間、荒尾競馬に通っているという福岡県大牟田市の男性(71)は「見慣れない顔が多いなー」とつぶやいた。
 10時32分 第1レースが始まる。スタンドには多くのファン、家族連れの姿も目立つ。荒尾所属のジーエスイワンコフが1着となった。
 10時59分 第2レース直前、40年以上、立ち売りスタイルで予想屋を続けてきた田中勝喜さん(76)は「こんなににぎわうのは20年ぶりかな。正月みたいだ。みんな、別れを惜しんでいるんだろう」と言い残し、レースを見に行った。
 12時25分 出走ゲートそばの児童公園は体験乗馬コーナーが設けられた。馬に揺られる子供たちの歓声が響く。
 12時45分 第5レースが始まる直前の検量所前に、調教師と騎手でつくる「調騎(ちょうき)会」会長の調教師平山良一さん(63)の姿が。「残念という気持ちと、無事に終われそうだという思い、まだ行く先が決まっていない人たちを案ずる気持ち、いろいろな思いが重なっている」
 13時45分 3階特別観覧席は680全席が埋まり、入場制限。ジュースの自動販売機に「売り切れ」の文字が並ぶ。
 14時20分 スタンド上段で、焼酎の入ったコップを片手に馬場を見つめていた荒尾市の男性(63)は「悲しい。35年くらい前は毎日(観客がいっぱいの)こんな状態だったのに。(廃止が)何とかならないかなあ、と思うよ」。
 15時15分 最終第9レース「さよなら・感謝・荒尾競馬」を走る12頭が、移籍先の佐賀競馬20+ 件でデビューを目指す騎手の卵、小山紗知伽(さちか)さんの馬に先導されて、出走ゲートに向かう。最後のファンファーレが鳴り響き、満員のスタンドから大きな拍手が湧き起こる。
 15時18分 牧野孝光騎手(47)が乗るサマービーチが最後にゲートに入った。実況の北本誠アナウンサー(35)は「千秋楽結びの一番、態勢完了!」とアナウンス。
 15時19分 最終レースがスタート。サマービーチが抜け出し、スタンドに馬券の紙吹雪が舞う中、独走で有終の美を飾った。「マ・キ・ノ、マ・キ・ノ!」「ありがとう!」とスタンドから歓声が上がる。牧野騎手は「最後を締めくくれて良かった。30年間、悔いはない」と笑顔。
 15時39分 騎手たちが中央のステージにあがり、表彰式が始まる。観客にレースで使ったムチを投げ、プレゼントするシーンも。
 15時43分 ステージ上の騎手たちをスタンドで見つめる荒尾市の会社員、矢ケ部徹さん(50)。荒尾で騎手としてデビューし、調教師を経て、5年前に引退した。「将来の展望が見えず、辞めた。ただ、できれば荒尾は自分が死んでから終わってほしかった」
 15時53分 競馬20+ 件場そばの厩舎団地はひっそりと静まり返っていた。厩務員の野田孝昌さん(35)が、最終レースを走り終えた馬の体を丁寧に洗う。「けがをせず、無事に終わることができたのは良かったです」。同僚の石松進一朗さん(42)は「馬も3分の1くらいに減った。寂しいね」。
 16時00分 ステージ上で騎手たちが調教師に花束を贈呈。記念撮影も始まった。
 16時14分 岩永騎手が「私は荒尾競馬が大好きです」と言葉をつまらせながらあいさつ。
 16時20分 馬場を一般開放。ファンが薄暮の馬場に入り記念撮影などを楽しむ。東京都練馬区の自営業、田島聡博さん(47)は息子の広志君(12)と一緒に入り、砂をペットボトルに詰めた。田島さんは「観客との距離感の近い公営競馬20+ 件が好きだった」と話した。
 16時32分 厩舎団地の入り口近くにある馬の守り神「馬(ば)頭(とう)観音」を矢ケ部さんが訪れた。「辞めて以来だから5年ぶり。競馬で生活してる人間は、なかなか離れづらいんだよね…」と今後に不安を抱える元同僚たちを気遣った。
 17時13分 スタンドの人影がまばらになり、場内放送の「蛍の光」のメロディーが海沿いの馬場を包んだ。(西日本新聞)
【写真】 (上)大勢の観客が詰め掛けた荒尾競馬。最終レースには拍手が送られた。(中)最終レースに勝利、観客に手を振り応える牧野孝光騎手。(下)レース後、開放された夕暮れの馬場を歩く観客

荒尾競馬、83年の歴史に幕…最古の地方競馬


 現存する地方競馬としては国内最古の歴史を持つ熊本県の荒尾競馬が23日、83年の歴史に幕を下ろした。
 スタンドには近年で最多の約8900人が詰めかけ、海沿いの本馬場特有の潮風の中を疾走する競走馬に最後の声援を送った。本馬場を一般開放するなどのサービスもあり、ファンたちは過去のレースを振り返るようにコースを踏みしめていた。
◆最終レース
 最終レースは騎手を目指して訓練してきた小山紗知伽さんの先導で所属騎手12人が入場した。
 午後3時17分、ファンファーレが鳴り響くと、約8900人で埋まったスタンドがざわめいた。同18分、スタート。歓声の中、1着で駆け抜けたのは、ベテランの牧野孝光騎手が騎乗する「サマービーチ」。笑顔で手を振る牧野騎手に「ありがとう」「お疲れさま」という声が飛んだ。
 これに続いてセレモニーがあり、騎手や調教師、馬主、厩務員ら関係者がスタンドの前に整列。荒尾市の前畑淳治市長は「心の中に、荒尾競馬を大切な思い出として残していただきたい」とファンに呼び掛け、牧野騎手は「最後のレースで勝てた。悔いはありません」と震える声で話した。
◆ファン
 競馬場入り口には早朝からファンが列を作り、午前9時10分の開場とともに流れ込んだ。スタンドではレースを写真に収めようとカメラを構え、騎手や出走前の馬を間近で見られるパドックにも人垣ができた。
 ファンの一人で、荒尾市の馬場賢晋さん(35)は、馬主だった父の影響で小学生の頃から通い、厩務員として働いたこともあった。「廃止だなんて信じられない」と目を潤ませ、「これだけのファンがいるのだから、継続もできたのでは」と惜しんだ。
 神戸市の会社員男性(50)は「海のそばで眺めもよく、馬との距離が近くて好きだった。なくなってしまうのは寂しい」と肩を落とした。
 レース終了後、一般開放された本馬場には多くのファンがスタンドから降り立ち、幾多の競走馬が駆け抜けたコースを名残惜しそうに踏みしめた。騎手にサインを求める姿も見られた。
◆引退
 この日を最後に引退する関係者も多い。荒尾競馬の代表的な調教師平山良一さん(63)もその一人。廃止が決まって他競馬場に移籍を求めたが、年齢のハンデから断念し、引退を決めた。
 調教師生活33年。育てた馬、騎手は数知れない。この日最後の重賞レースでも自らの厩舎の馬が勝利し、有終の美を飾った。
 「好きな道だったから苦労を感じなかった。気分良くフィナーレを迎えられてありがたい」。レース終了後、騎手一人ひとりを「お疲れさんでした」と温かく迎え、労をねぎらっていた。
 吉田隆二騎手(46)も27年間の騎手生活を終えた。「数々の大きなレースを走り、プレッシャーをはねのけて勝てたことが思い出。これをバネに次の人生に挑戦したい」と話し、家族との記念写真に収まっていた。(読売新聞)
【写真】騎手からサインをもらう競馬ファンたち

12歳アラブ馬、地方競馬最多勝記録ねらい奮闘中


 日本の競馬を支え、最盛期には約1万頭いた競走用のアラブ馬が、馬場から消えつつある。現役は福山競馬(広島県福山市)などの6頭。競走馬としては6~12歳と高齢だが、サラブレッドに交じって出走し、地方競馬の最多勝記録の更新を目指す馬もいる。スピードはそこそこでも力強く走る“泥臭い姿”にファンらは声援を送っている。
 純粋のアラブ馬はアラビア半島原産。日本では、サラブレッドとの交配種「アングロ・アラブ」が持久力に優れるとして戦前は軍馬として多く育てられた。
 地方競馬全国協会によると、戦後は各地の競馬場で活躍。地方競馬での登録数は1986年に9938頭に達したが、高速レースを展開するサラブレッドが主流になり、日本中央競馬会はアラブ馬だけのレースを95年に廃止、地方競馬も2009年に取りやめた。
 国内のアラブ馬は、乗馬用などに年10頭前後が生産されるが、競走馬は08年10月のデビューが最後。今年11月末の登録数は24頭だが、現役は福山競馬の4頭と門別競馬(北海道日高町)の1頭、荒尾競馬(熊本県荒尾市)の3頭のみだった。このうち廃止が決まり、23日に最後のレースが行われた荒尾競馬では2頭が引退、1頭が移籍を検討中だ。
 勝てなくなった馬も多い中、福山競馬では牡馬「モナクカバキチ」が奮闘する。12歳で人間なら50歳近いが、7月に2勝して通算54勝とし、地方競馬最多勝の新記録(55勝)を目指す。 現在は勝利から遠ざかっているが、走る意欲は旺盛だ。元厩務員、加藤隆由さん(37)(岡山市)が開設するブログ「モナクカバキチ最多勝への道」には「アラブの心意気を見せて」「壮年パワーに元気をもらっている」などのメッセージも届く。加藤さんは「地道に勝利を重ねた姿に多くの人が勇気づけられている。少しでも長く、元気に走って」と願っている。
 「厩舎物語」の著者で、荒尾競馬の2頭の馬主でもある大月隆寛・札幌国際大教授(民俗学)は「負けん気が強く、走りに味があるアラブ馬に、日本の競馬界がどれだけ世話になったことか。最後の馬主になってもアラブの灯を消さないよう頑張る」と語る。(読売新聞)

2011年12月23日金曜日

荒尾競馬:地方最古、23日に83年の歴史に幕 再就職困難、関係者の思いは

現存する地方競馬場では最も古い荒尾競馬(熊本県荒尾市)が23日の最終レースで83年の歴史に幕を下ろす。荒尾市の前畑淳治市長が廃止を正式表明してから3カ月。その歩みは炭鉱の盛衰と重なり、再就職先が決まらない人も多い。関係者はやるせない思いで最終日を迎える。

 ■炭鉱と共に

 今月16日の開催日。最終日を1週間後に控え、いつもより4割多い約1400人が来場した。倍率が表示されたモニター画面をにらみ、競馬新聞を握りしめてレースに入れ込むファン。プレハブ建ての食堂から外を眺める女性店員(74)は「今日はそこそこにぎわっとるねえ」とつぶやいた。ここで働き始めて二十数年。平成の初めごろ店員は8人いたが、今は2人で切り盛りしているという。「昔はすごかったんよ」と懐かしそうに語る。

 荒尾競馬が始まったのは1928年3月。旧三井三池炭鉱の労働者らにとって最大の娯楽だった。80年度には約152億円を売り上げたが97年3月の炭鉱閉山を機に状況は一変。「あれが一番痛かった。あの時からいつかこうなるのではと、みんな思っていたんじゃないですか」と関係者。昨年度の売り上げは約48億円とピーク時の3分の1にまで落ち込んだ。

 競馬組合や市も手をこまねいていたわけではない。02年度から組合の職員削減、騎乗手当カット、さらにネット投票導入や場外馬券発売の受託日数増など改善に乗り出したが、好転しなかった。金曜日の開催だが、8年前から厩務(きゅうむ)員会長を務めている渡辺賢一さん(47)は「他競馬との絡みもあってだが、客商売ならやはり土日に開催しないで人が集まるわけがない」。

 ■困難な再就職

 荒尾市は廃止に伴い、調教師会、厩務員会、装蹄(そうてい)師会などと1人平均94万~780万円の協力見舞金を支給する調印をした。調教師や厩務員、騎手ら現場関係者は102人。12月1日時点で市が把握している再就職先が決定または内定者は40人にとどまる。2人は引退。43人は未定で、中には引退や別の職種を考える人もいるという。ただ残る17人は、市の支援を希望しておらず実態をつかめていない。

 渡辺さんも未定だ。高校卒業後にこの世界に入り、妻と小学生の娘2人の計4人家族。最終レースを見届けない限り、落ち着いて今後を見据える気になれないという。厩舎ごと佐賀競馬に移籍する幣旗吉昭調教師(58)は「他の人はどうするのか」と気にかける。

 九州では01年の中津競馬(大分県中津市)に次ぐ廃止で、地方競馬は佐賀競馬だけになる。佐賀県競馬組合の渕上忠博次長は「一緒に頑張ってきたパートナーを失い、かなり厳しい。佐賀が九州唯一となるので何とか盛り上げたい」と話している。

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 ◆荒尾競馬を巡る主な出来事◆

1928年 3月 熊本県畜産連合会などによる第1回レースが開催され144頭が出走

  55年10月 熊本県と荒尾市による「荒尾競馬組合」発足

69年度     売り上げ10億円を突破

75年度     売り上げ100億円を突破

  94年 5月 園田競馬(兵庫県)と荒尾競馬所属の競走馬が入れ違って出走していた問題が発覚

  95年10月 JRA場外発売所開設

  97年 3月 旧三井三池炭鉱閉山

98年度     単年度赤字に転落

99年度     赤字により荒尾市への繰り入れゼロに

  00年 6月 荒尾・佐賀・中津(大分県中津市)3場で九州競馬スタート

  01年 3月 中津競馬廃止

06年度     累積赤字が10億円を突破

  09年10月 検討会が「11年度までに経営改善困難なら存続断念」を提言

  11年 9月 前畑淳治市長が年内廃止を表明

     12月 最終レース(23日)

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 ■ことば

 ◇荒尾競馬
 熊本県畜産連合会や地元有志が、1928年に第1回となるレースを開催。55年、県と荒尾市による一部事務組合「荒尾競馬組合」が運営を始めた。ピークの80年度には約152億円を売り上げた。これまで市に約87億円を繰り入れ財政を支えてきたが、98年度からは単年度赤字が続き、翌99年度以降の繰り入れはゼロ。約26万平方メートルの跡地活用策は決まっていない。13億6000万円を超える累積赤字の処理も課題。(毎日新聞)

2011年12月19日月曜日

23日廃止の荒尾競馬、関係者の半数が再就職未定

荒尾市の荒尾競馬は23日のレースを最後に83年の歴史に幕を下ろす。最盛期には市の財政に多大な貢献をしたが、レジャーの多様化とともに衰退し、逆に財政的な“お荷物”となってしまった。年度末の廃止へ向けた手続きが進むが、従事者の再雇用問題など課題は山積している。

<雇用>
 市競馬対策課によると、競馬場で働く関係者は102人。競馬組合(主催団体)管理者を務める前畑淳治市長が9月に廃止を表明して以降、市は再就職を支援してきた。
 11月30日現在、調教師14人中4人、騎手13人中10人、厩務員63人中27人、装蹄師9人中1人の再就職が決定・内定(獣医師3人は未定)。だが、半数以上の残る60人は未定で、うち7人は高齢などを理由に引退を予定しているという。
 未定者が最も多い厩務員は年配の人が多く、引き受け先が少ない。別の仕事を探すのも難しく、この道40年という男性(63)は「(23日の)最終レース後に本格的に再就職先を探すが、最悪のケースを想定しなければならないかもしれない」と不安を口にする。
 装蹄師の波多野忠さん(51)は「我々のような特殊な職種は仕事場が限られ、他の競馬場にも容易には入れない。廃業しかないのかな」とポツリ。市の担当者は「全力を挙げ、年度末には再就職率100%に近づけたい」と言うが、現実は厳しい。

<補償>
 市と競馬場に携わる人たちとの間には直接の雇用関係がなく、退職金を払うことはできない。一方で、収益金を市の一般会計に繰り出しており、関係は深い。このため、退職金に代わる形で「協力見舞金」を出すことにしている。
 ただ、他の廃止競馬場の例と比べると金額的に少ない。市と各職種代表との交渉は調教師、厩務員、装蹄師会、予想紙関係者の組合とは決着したが、騎手、馬主などとは交渉中。
 特に、馬主会との交渉はハードルが高い。組合側は昨年8月、競走馬の出走手当を引き下げており、馬主側は引き下げ分の総額約9400万円の補償も求めているからだ。行き場のない馬の処分も始まっていることもあり、対立は根深い。
 このほか、場内の食堂で働く従業員も職場を追われることになる。市は当初、見舞金の支払い対象にしていなかったが、窮状を訴えられ、交渉を進めている。

<市の責任>
 組合管理者の前畑市長は、廃止決断の理由をこう述べた。
 「1997年の三池炭鉱閉山を契機とし、レジャーの多様化もあって売り上げ、入場客とも年々減少した。将来も累積赤字を解消する見込みが立たない」
 現在3期目。2003年1月の市長就任以来、「あらゆる手段を尽くして経営改善に努めてきた」と言う。だが、就任当初の累積赤字約6億円は現在、13億4000万円に倍増した。
 競馬法は、地方競馬の存在理由の一つに地方財政への寄与を挙げている。荒尾競馬では、これまで、収益の中から同市に87億5000万円、県に3億8000万円を繰り出してきた。1998年度まで、赤字の年でも繰り出しは続いた。
 馬主たちは「(繰出金のうち)少しでも競馬場改修費などに回してファンを増やしたり、場内の民有地を買収して借地料負担を無くしたりしていれば、経営は相当違っていたはず。市の無策が今日を招いた」と指摘する。
 前畑市長は「責任は感じている。私が競馬組合議長をしていた県議時代も(馬主たちと)同様に主張してきた。当時の市は財政窮乏を理由に(設備投資などへの出費を)受け入れなかった」と釈明している。
 競馬場は有明海に面した約25万7000平方メートル。市は来年1月、跡地の活用検討委員会を設置する。有明海湾岸道路用地、公園化、さらには発電所などの企業立地など早くも様々な意見が出始めている。過ちを繰り返さないため、徹底した総括と市民挙げての議論が必要だろう。(読売新聞)

【荒尾】最高齢騎手 48歳の尾林幸彦が引退

荒尾競馬(熊本県荒尾市)の最年長騎手・尾林幸彦(48)が、同競馬が23日に経営難のため廃止されるのを機に引退する。10年前に廃止された中津競馬(大分県中津市)から移籍した通算2665勝のベテランは、2度目の廃止を迎えて決断した。

 尾林は16歳でデビュー。中津競馬で2度最多勝となるなど中心騎手として活躍した。2001年3月に同競馬が廃止された際、知人の調教師の誘いで荒尾競馬に移籍。同競馬が存続する限り現役を続けるつもりだったが「この年齢で移籍してまた一から苦労はできない」と引退を決意。次の進路は年が明けてから考えるという。(スポニチ)

2011年12月17日土曜日

市民団体、園田・姫路競馬の廃止申し入れ…「地方競馬の落ち込みは顕著」

市民団体「市民オンブズ尼崎」は23日、尼崎市の園田競馬場と姫路市の姫路競馬場について、廃止を求める申し入れ書を尼崎市の稲村和美市長に提出し、知事と姫路市長にも郵送した。「両競馬場を運営する兵庫県競馬組合の売り上げが減っているうえ、改善策として計画中のナイターレースが実施されると、治安が悪化する」などと訴えている。
 兵庫県競馬組合は県と尼崎、姫路の両市で構成。同組合によると、客層の高齢化などで来場者の減少が続き、売り上げも年々減少。10年度の単年度収支は約5億5100万円の赤字となる見込みだ。同組合は収益改善策として、園田競馬場に約6億円の設備投資を行い、金曜日夜のナイターレースを検討。
 組合の11年度当初予算に設計費約2000万円を計上している。
 市民オンブズ尼崎の梅沢康弘代表世話人(63)は「景気低迷、レジャーの多様化で 地方競馬の落ち込みは顕著。ナイターで収益が改善される可能性は低く、周辺住民から治安の悪化を懸念する声があがっている」と話す。
 一方、同組合は毎日新聞の取材に「園田競馬場は大阪、神戸に近く、ナイターであれば平日昼に競馬場に来ることができない新たな客層の獲得も期待できる」とし、「事業廃止の訴えは時期尚早。治安悪化への懸念については、警備員を増員するなど対策を取る予定で、住民説明会を開き理解を求めている」としている。(毎日新聞:2011年8月25日版)

騎手との別れ惜しむファン 荒尾競馬でサイン会


 23日がラストレースとなる荒尾市の荒尾競馬場で16日、所属騎手のサイン会が開かれた。競馬ファン約120人の長い列ができ、新天地へと向かう騎手たちと別れを惜しんだ。

 渡韓中の西村栄喜騎手(36)を除く12人が色紙にサインを寄せ書き。村島俊策騎手(29)が「ありがとうございました。23日も必ず来てください」と手渡した。

 岩永千明騎手(29)のファンという合志市の飯島博さん(76)は「今度は佐賀競馬に応援に行きたい。廃止に負けず活躍してほしい」とエールを送る。一方で「荒尾競馬場は娘を連れて遊びに来ていた思い出の場所。寂しくなりますね」と名残惜しげだった。

 ずっと通っていたという福岡県筑紫野市の河室美帆さん(38)は「騎手には新しい道でも頑張ってほしい。今までありがとうございました」。

 16日は荒尾競馬の情景を見たいと、通常の1・5倍、1400人が来場。名馬の写真を使ったカレンダーや競馬場の砂を詰めた小瓶も配布された。(熊本日日新聞)
【写真】サインを寄せ書きした色紙を手渡す荒尾競馬所属騎手。別れを惜しむファンの長い列ができた=荒尾市の荒尾競馬場

2011年12月16日金曜日

荒尾競馬「見舞金」で確認書 調教師、厩務員

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 荒尾競馬組合は15日、事業廃止に伴う協力見舞金交渉で妥結した調教師(14人)、厩務(きゅうむ)員(61人)と確認書を交わした。支給は調教師が所属する県調騎会に対して計約1億900万円、厩務員会について計1億3千万円。個別の金額は「混乱の恐れがある」(市幹部)として公表していない。来年3月の定例市議会に補正予算案を提案する予定で、可決されれば同月末までに支給する。
 見舞金は、過去3年のそれぞれの平均年収や勤務期間などを加味した「生活再建支援金」と、再就職支援金(1人当たり18万円)を合算した額。厩務員会については解散にかかる経費50万円も含まれる。退去に伴う交通費は別途支払う。
 残る交渉中の対象者は馬主(約120人)、騎手(13人)、獣医師(3人)、食堂経営者(10人)。(西日本新聞)

2011年12月15日木曜日

荒尾競馬 見舞金合意確認書締結


 荒尾市は、来週で廃止となる荒尾競馬場の調教師と厩務員の協力見舞金について合意に至り、確認書の調印式をきょう行いました。きょうの調印式では、協力見舞金の合意に至った調教師14人と厩務員61人のそれぞれの代表者が、書面に調印しました。協力見舞金の総額は、調教師はおよそ1億1000万円、厩務員はおよそ1億3000万円。1人当たりの平均は調教師はおよそ780万円、厩務員がおよそ210万円ということです。荒尾市は、議会の承認を得た上で、今年度中にも支払うことにしています。一方、騎手や馬主などおよそ150人がまだ合意に至っておらず、荒尾市は、引き続き話し合いを重ねるなどして、今年度中に全ての関係者への協力見舞金の支払いを目指しています。(テレビ熊本)

プロスポーツ大賞地方競馬部門 山中騎手に功労賞


62歳 最年長記録を評価 金沢競馬で初
 国内プロスポーツ界の成績優秀者に与えられる「第44回日本プロスポーツ大賞」の地方競馬部門功労賞に、金沢競馬の山中利夫騎手(62)が選出された。地方競馬全国協会が13日発表した。金沢競馬で功労賞受賞は初めて。
 山中騎手は1967(昭和42)年に大阪の春木競馬場(現在は廃止)でデビューし、その後和歌山県の紀三井寺競馬場(同)などを経て、1980年から金沢競馬場で騎乗している。今なお現役で、これまで2811勝(13日現在)を挙げている。今回は今年六月に国内の最年長騎乗記録を更新したことが評価された。
 受賞を知った山中騎手は「長いこと頑張ってきたご褒美だと思う。また一日一日頑張りたい」と話した。表彰式は20日に東京都内のホテルで行われる。(中日新聞)

大村愛知知事:県競馬組合の議員報酬ゼロを提案へ

愛知県と名古屋市、豊明市で構成する一部事務組合「愛知県競馬組合」議会の組合管理者を務める大村秀章知事は、議員報酬をゼロにする条例改正案を27日開会の12月定例議会に提出する方針を決めた。15日に開かれる「議会あり方検討会」で説明する。

 名古屋競馬を運営する組合の累積赤字は昨年決算で約40億円に上り、経費削減に向けて報酬見直しが不可欠と判断した。

 組合議会は▽県議8人▽名古屋市議8人▽豊明市議2人--で構成され、条例に基づき各議員に月額3万1000円が支給されている。

 改正案では、現議員の任期が終わる来年5月まで無報酬とし、それ以降は改めて議論するとしている。

 県競馬組合や名古屋港管理組合など一部事務組合議会の議員報酬について、河村たかし名古屋市長も「報酬の二重取り」と批判。県競馬組合議会は報酬を月1万円、議会開催時の日当1万円の年15万円程度にする正副議長案を軸に報酬削減を調整していた。(毎日新聞)

2011年12月13日火曜日

養老牧場:引退馬に幸せな余生を 八重樫美織さん、賛同者協力受け那須に/栃木

◇殺処分知り「救いたい」
 年老いた競走馬の多くが殺処分される運命にあるのを知った女性が、馬を引き取る「功労馬の余生牧場」を那須町に開いた。八重樫美織さん(37)。23日には熊本県荒尾市の地方競馬・荒尾競馬場が最終レースを迎え廃止される。「走るだけ走らせて殺されるなんて」と、できるだけたくさんの馬を引き取ろうと努めている。【中村藍】
 「ほら、食べなよ」。青草を詰め込んだバケツを置き、元競走馬のフジサイレンスを優しくなでた。東日本大震災で被災した福島県南相馬市の馬主から引き取った馬だ。約6万平方メートルの牧場には馬5頭が身を寄せる。牧場名は好きだった競走馬からもらって「ブレーヴ・ステイブル」にした。
 今年で開設12年目になる埼玉県ときがわ町の養老牧場「ときがわホースケアガーデン」によると、引退馬を引き取る牧場は全国に20カ所ほどあるが、生産される馬の頭数に対してまだまだ足りないのが現状だという。
 八重樫さんは幼いころ、両親に連れられ訪れた牧場で馬と触れ合い、それから馬が好きになった。短大卒業後、さいたま市で歯科助手になったが、休日には早起きして東京都内の競馬場に出かけ、パドックを最前列で眺めていた。ある日、ひいきの馬を見なくなった。後で殺処分されたと知った。胸が締め付けられた。同時に、引退馬の余生をみる牧場の運営に思いが募った。
 仕事の傍ら、埼玉県内の牧場で研修を始めた。昨年、「スエヒロコマンダーを助けて」というファンが来た。通算4億円以上の賞金を獲得した名馬だが、すでに引退が決まり、殺処分の可能性があるという。「私が引き取る」と即決し、まず岩手県の牧場へ移した。歯科助手の仕事は辞めた。知人から那須町の牧場を借り、この夏、養老牧場の開設にこぎつけた。賛同者がボランティアやスタッフとなり、今は10人で馬や他の動物を世話している。
 今、心配なのは荒尾競馬場の約280頭の競走馬の行方だ。同競馬場の関係者は「馬のレベルが低く、他の競馬場に移って十分に走れる可能性は少ない。馬主も経済的なゆとりがなく、大部分が殺処分になるのでは」と話す。八重樫さんは馬主や関係者と交渉し、2頭の引き取りが決まった。今後も牧場のスペースが許す限り受け入れに努めるという。「命を大事にする手本となるような牧場に育てたい」と八重樫さん。もちろん、スエヒロコマンダーもここで幸せな余生を送っている。(Yahooニュース)

2011年12月11日日曜日

荒尾競馬、忘れないで 16、23日に感謝イベント




 荒尾市の荒尾競馬2 件は16日と23日でレースの開催を終える。両日は来場者向けにファン感謝イベントを実施予定。荒尾で活躍した名馬の写真を使ったカレンダーや馬場の砂を詰めた小瓶の配布、騎手サイン会などがある。厩務[きゅうむ]員らも「荒尾の思い出を忘れないで」と手作りのオリジナルグッズを準備している。
 カレンダーには第1回サラブレッド大賞典(1990年)で勝利したコーナンオーマ、第32回楠賞(93年)のダイメイゴッツと同39回(2000年)のコウザンハヤヒデ、開設83周年記念大阿蘇大賞典(11年)のテットウテツビなどが登場。満員のスタンドやモノクロームの馬場なども、83年の歴史を伝える。
 製作した日本レーシングサービス(東京)の古橋永祐さん(26)は「ファンとの距離の近さが荒尾の魅力だった。来年1年間、記憶を手元に置いてほしい」と話す。馬場の砂とともに、16、23日の来場者に無料配布する(先着順)。
 厩務員会は「記念グッズがほしい」というファンの声を受け、馬のたてがみを使ったストラップと金銀の蹄鉄[ていてつ]を製作している。23日に販売する予定。
 16日は午後4時50分から騎手サイン会も。最終日の23日は入場無料。所属騎手全員によるレースがあるほか、最終9レース終了後は馬場を開放する。荒尾競馬2 件婦人会や装蹄師会などによるプレゼント、体験乗馬も実施予定。競馬組合TEL0968(62)2210。(熊本日日新聞)
【写真】厩務員会が家族で手作りしている馬のたてがみを使ったストラップと金銀の蹄鉄
【写真】荒尾の馬場を駆けた名馬の写真を使った2012年カレンダー

2001年廃止の中津競馬は今 整備進まず・・・大半更地 「荒尾競馬」23日最終レース



 最終レースまで残りわずかとなった荒尾競馬。23日の最終日は、ファンにとっては馬が駆け抜ける姿を見られる「終わりの日」だが、ここを生活の場としてきた厩舎(きゅうしゃ)関係者にすれば新たな生活へと踏み出す「始まりの日」でもある。廃止に伴う見舞金交渉は難航し、再就職先が決まらない人も多い。跡地をどうするのかという問題も白紙のまま。荒尾競馬の行く末は-。2001年3月に廃止された中津競馬(大分県中津市)の跡地を訪ねた。
 「ここに来ると馬が走る音と歓声が聞こえる。やっぱり、悲しいな」
 競走馬の世話をする厩務(きゅうむ)員として、中津競馬で30年間働いた古梶(こかじ)好則さん(56)は廃止後、初めて馬場の跡地に立った。
 約12ヘクタールの広大な土地は大半が民有地で、一部に道路ができ、片隅にスーパーとホームセンターが建った以外はほとんど跡地利用は進んでいない。更地にわずかに残る砂だけが、かつてここがダートコースだったことを証明していた。
 隣接する厩舎団地跡(約11ヘクタール)へ向かう。入り口には「中津競馬組合厩舎団地」のプレートが忘れ物のように残っていた。馬小屋と住宅が一体化した厩舎こそ残ってないものの、道路や生け垣はそのまま。馬場と違い、往時の様子が見て取れた。「同僚の顔が浮かぶ。母校に来たようで懐かしい」。古梶さんの表情が少し晴れた。
 中津市によると、駐車場などを含む跡地(計約26ヘクタール)は市有地が4割、競馬組合所有地と民有地が3割ずつ。廃止後、市が全額出資する土地開発公社が民有地以外を約17億円で購入。当初、厩舎団地跡は、敷地内にある池を生かして公園にするはずだった。
 しかし、03年11月の市長選で現職が敗れ、計画は白紙に。市民代表が1年近く話し合った結果、スポーツ広場とする活用案がまとまった。ようやく来年4月から野球場の建設など本格的な整備に取り掛かるという。
   ◇   ◇
 古梶さんは今、跡地近くの新聞販売店で店主をしている。配達や集金で跡地そばを通る時は、車のアクセルを強く踏むという。「無理やり(競馬場での時間を)断ち切って、生きるためだけに費やした10年だった。立ち止まったら時間が一気に戻ってしまう気がした」からだ。
 記者とともに再びこの地を訪れる気になったのは「今の仕事が軌道に乗ったから」。古梶さんによると、約300人いた厩舎の仲間のうち、廃止後も競走馬に関われたのは1、2割。引退したある騎手は、ファンに気付かれないために「遠くの町の工事現場」へ行ったと聞いた。
 馬も同じ。市は把握していないが「最後までいた約200頭の大半が殺処分されたはず」と古梶さんは話す。
   ◇   ◇
 荒尾も当時の中津と似た状況にある。調教師や騎手など厩舎で働く102人のうち、再就職先が見つかったのは40人。引退が9人。残る53人はまだ決まっていない。約230頭の馬もほかの競馬場へ移籍できるのは3分の1程度にとどまるとみられている。
 荒尾市は、跡地(約26ヘクタール)について、市民を交えた検討チームを近く発足させ、来年度中に活用策を示す方針だ。自治体財政に計約91億円を繰り入れてきた荒尾競馬はかつて地域を潤す源泉だった。そんな「功労者」にむくい、地域再生につながる次の一手を急ぎたい。(西日本新聞)
【写真】10年ぶりに中津競馬の馬場跡に立ち、当時の様子を語る古梶さん。楕円形のコースを分断するように道路が敷かれていた。

岩手競馬:売り上げ好調、宮古は1.5倍に 沿岸部の行楽施設は被災

沿岸部で岩手競馬の馬券の売り上げが好調だ。宮古、種市(洋野町)の両場外馬券売り場では、販売額がそろって昨年を上回っており、関係者は震災による影響を指摘している。

 県競馬改革推進室によると、5月14日~今月5日までのレース開催日90日間の馬券売上金額は宮古の場外馬券売り場で2億7800万円、種市では4億8800万円。宮古では昨年同期の1・5倍、種市では約1・1倍となる好調ぶりだ。

 県競馬組合の平野直・経営管理部長は「震災により沿岸部の行楽施設が被災し、競馬が身近な娯楽として親しまれているのではないか」と分析。宮古に限っては、隣接する釜石の場外売り場が被災して、営業を休止していることも影響しているという。

 一方、県内全体の売り上げは前年比で約10%減少した。(毎日新聞)

2011年12月10日土曜日

岩手競馬:昨年度の収支均衡は維持 存続条件クリア

県競馬組合議会がこのほど、盛岡市内で開かれ、岩手競馬の今年度一般会計補正予算や10年度決算などを承認した。
 補正予算は、馬券発売機などの更新に伴い、2億3221万3000円を計上。維持コストや人件費の削減につながり、全国の地方競馬発売所で払い戻しができ、利便性も上がるという。
 10年度の発売額は184億3600万円。東日本大震災により3月の特別開催を中止したため、計画額を11%下回ったが、日本中央競馬会(JRA)からの寄付金などにより、経常損益を0とし、存続条件の収支均衡を保った。入場者数は前年度比14・5%減の30万5667人だった。
 また、管理者の達増拓也知事は来年度の予算編成にあたり、賞金や出走手当など賞典費の引き上げを前向きに検討する考えを示した。岩手競馬の賞金は経費削減のため06年以降毎年引き下げられ、全国最低水準となっている。(毎日新聞)

2011年12月9日金曜日

水沢競馬 きょう再開 来月9日まで14日間


 東日本大震災のために開催が見送られていた水沢競馬が10日から、奥州市水沢区の水沢競馬場で再開する。スタンドが損傷し、競馬場の存続さえ危ぶまれたが、地方競馬全国協会から補助金を受け復旧工事を終えた。年間約80日間のレースは、14日間に減るが、騎手や厩務(きゅうむ)員らは「ようやく地元の期待に応えられる」と出走のファンファーレを心待ちにしている。
 8日早朝。同競馬場では薄暗いうちから何頭もの馬が白い息を吐きながら、馬場を駆けていた。菅原俊吏騎手(30)は「開催を待っていたファンに、いつも以上に良いレースを見せたい」と声を弾ませた。
 震災後は馬の飼育費支給や厩務員の給与も減った。県調騎会(奥州市水沢区)の村上昌幸副会長(57)は、「不安のない環境で調教することすら難しいが、馬主やファンのために最高のレースを目指したい」と話す。
 水沢開催は来年1月9日まで。同競馬場は12日まで、入場料を無料とする。10日は先着1050人に畜産加工品をプレゼント。昨年に「岩手ダービー」など岩手三冠馬となったロックハンドスターの記念展も開かれる。(読売新聞)
【写真】10日のレースに向けて調教する騎手ら(8日、奥州市の水沢競馬場で)

2011年12月3日土曜日

荒尾の岩永騎手、佐賀競馬へ 通算200勝達成


  荒尾競馬組合は2日、人気女性ジョッキー岩永千明騎手(29)の佐賀競馬(鳥栖市)移籍が決まったと発表した。来年1月1日付。先に佐賀移籍が決定した幣旗吉昭調教師(58)の厩舎[きゅうしゃ]に所属。騎手候補生小山紗知伽さん(17)と共に新天地へ挑む。

 岩永騎手は佐賀県出身。2004年4月にデビューし、04、05年の全日本レディース招待競走で2連覇。07年には落馬で大けがを負ったが復帰を果たし、昨年のレディースジョッキーズシリーズでも初の女王に輝いた。

 2日の第6レースで「今年の目標」としていた通算200勝を達成。「絶対に荒尾で200勝したいと思っていた。これまで支えて下さった方々に感謝したい」と話した。

 一方、荒尾市競馬20+ 件対策課は、11月末現在で競馬関係者102人のうち進路決定者は42人にとどまり、半数以上が未定であることを明らかにした。このうち36人は再就職支援を希望しているという。

 前畑淳治市長は「満足のいく数字ではない。新年度から新しい生活に入ってもらえるよう、県やハローワークとも協力して支援にあたりたい」としている。(熊本日日新聞)
【写真】2日の第6レースで通算200勝を達成した岩永千明騎手。来年1月からは佐賀競馬で騎乗する=荒尾市の荒尾競馬場

2011年12月2日金曜日

荒尾競馬:武豊騎手来場に沸く--年内廃止

日本中央競馬会(JRA)の人気騎手、武豊騎手(42)が1日、荒尾市の荒尾競馬に出場、騎乗後のトークショーでも会場を沸かせた。大勢のファンらが駆けつけ、来場者は2018人と通常の平日開催の約2倍だった。

 荒尾競馬は今月23日の最終レースで競馬開催を終了する。武騎手はそれを知り、一肌脱ぎたいと廃止前の来場を希望したという。荒尾競馬での騎乗は今回が3回目。騎乗した第7レースで惜しくも2着に。トークショーでは「荒尾での最後のレースなので勝ちたかった」と残念がった。荒尾競馬について「中央の競馬場と比べ、ファンとの距離が近い。こんなに海が近い競馬場も他にない。コースも乗りやすい」と話し、廃止を惜しんだ。

 最後に「こうやってたくさん来ていただいて、我々にとっては一番うれしい。僕自身も頑張っていこうと思っていますので、皆さんも競馬を応援してください」と呼びかけた。

 ◇23日お別れイベント--馬場開放、プレゼント用意
 荒尾競馬組合は1日、最後の開催となる23日にファイナルイベントを開くと発表した。通常大人100円の入場料を無料にし、レース終了後は馬場を開放する。通常11レース行うところを全9レースとし、午後3時半ごろに終了。前畑淳治市長がファンにあいさつして、馬場への立ち入りを自由にする。(毎日新聞)

 来場した先着4000人に2012年のオリジナルカレンダー、同5000人に馬場の砂を入れた小瓶をプレゼントする。カレンダー作製は今年が最後となるため、荒尾競馬に所属した往年の名馬が写真で紹介されるという。

 この他、体験乗馬やくまもと赤牛焼き肉の試食会などがある。

競馬継続の最大条件クリアへ

存廃の岐路に立つ福山競馬が、現在の発売収入が維持できれば本年度の実質単年度収支が黒字となり、事業継続の最大条件をクリアする見通しとなった。福山市の羽田皓市長が1日、市議会で明らかにした。来年度の予算編成ができるか、どうかが残る条件となる。

 市競馬事務局によると、計64日間開催した11月27日までの売り上げは1日平均8358万円。当初予算の8234万円に比べ101・5%を維持した。4~12月の計63日間で91・0%だった昨年度と比べ、約10ポイント上回っている。東日本大震災の影響で東北地方などのレース中止が相次ぎ、インターネット投票が大幅に増えた。

 1~3月の第4四半期は例年、売り上げが伸びる傾向にある。昨年度の同期は、当初予算に比べ125%を達成した。羽田市長は、市議会で「現行水準の発売収入なら本年度は収支を確保できる」と説明した。

 福山競馬は約20億円の累積赤字を抱える。来年度の予算編成は、震災の影響が収まり、減少することが予測される収入と、振興策などの出費のバランスが課題となる。(中国新聞)

2011年12月1日木曜日

特区で7重勝馬券ができる佐賀競馬

内閣府は11月28日、特定地域で国の規制を緩和する「構造改革特区」として、佐賀競馬(佐賀県鳥栖市)を運営する県競馬組合が、法律で認められてない「7重勝単勝式」の馬券を販売することを認定した。
 組合は、2年連続の赤字決算で、収入増が喫緊の課題となっており、収益増に結びつくことを期待している。
 7重勝単勝式は、指定した7レースの1着馬をすべて予想する馬券。現行の競馬法では、「5重勝」までと定められているが、組合は、新しいタイプの馬券がファンの獲得につながるとして、特区申請していた。来年度からインターネットで販売する予定で、年間の売り上げ目標額は約2億6400万円。
 「7重勝」の発売は全国初で、組合の江崎保夫事務局長は「配当が高くなるのが魅力。ネット販売を通じて、全国の競馬ファンに佐賀競馬の魅力を伝えたい」と話している。
 県競馬組合の昨年度の決算は、馬券売り上げ減少が響いて2年連続の赤字で、累積赤字額は2億4800万円に膨らんでいる。
 歳入は114億3100万円で、馬券売り上げは前年度比4・8%減の104億2200万円。入場者数(専用場外発売所を含む)は9・4%減の48万9900人で、競馬場での売り上げが11・5%ダウンの51億6800万円にとどまった。
 歳出は116億8000万円。1着賞金を削減し、賞金・奨励費を1・4%減の12億5600万円に抑え、職員の人件費も13・8%減の1億6400万円まで下がった。
 日本中央競馬会(JRA)や荒尾競馬(熊本県)との交流などによるレースの多様化を図ったが、収入減に歯止めがかからなかった。11月25日に開かれた組合の定例議会では、馬券の売り上げが前年度比で約2割落ち込んだ田野場外発売所(宮崎市)について、早急な廃止を求める意見などが出た。(読売新聞)