2011年12月11日日曜日

2001年廃止の中津競馬は今 整備進まず・・・大半更地 「荒尾競馬」23日最終レース



 最終レースまで残りわずかとなった荒尾競馬。23日の最終日は、ファンにとっては馬が駆け抜ける姿を見られる「終わりの日」だが、ここを生活の場としてきた厩舎(きゅうしゃ)関係者にすれば新たな生活へと踏み出す「始まりの日」でもある。廃止に伴う見舞金交渉は難航し、再就職先が決まらない人も多い。跡地をどうするのかという問題も白紙のまま。荒尾競馬の行く末は-。2001年3月に廃止された中津競馬(大分県中津市)の跡地を訪ねた。
 「ここに来ると馬が走る音と歓声が聞こえる。やっぱり、悲しいな」
 競走馬の世話をする厩務(きゅうむ)員として、中津競馬で30年間働いた古梶(こかじ)好則さん(56)は廃止後、初めて馬場の跡地に立った。
 約12ヘクタールの広大な土地は大半が民有地で、一部に道路ができ、片隅にスーパーとホームセンターが建った以外はほとんど跡地利用は進んでいない。更地にわずかに残る砂だけが、かつてここがダートコースだったことを証明していた。
 隣接する厩舎団地跡(約11ヘクタール)へ向かう。入り口には「中津競馬組合厩舎団地」のプレートが忘れ物のように残っていた。馬小屋と住宅が一体化した厩舎こそ残ってないものの、道路や生け垣はそのまま。馬場と違い、往時の様子が見て取れた。「同僚の顔が浮かぶ。母校に来たようで懐かしい」。古梶さんの表情が少し晴れた。
 中津市によると、駐車場などを含む跡地(計約26ヘクタール)は市有地が4割、競馬組合所有地と民有地が3割ずつ。廃止後、市が全額出資する土地開発公社が民有地以外を約17億円で購入。当初、厩舎団地跡は、敷地内にある池を生かして公園にするはずだった。
 しかし、03年11月の市長選で現職が敗れ、計画は白紙に。市民代表が1年近く話し合った結果、スポーツ広場とする活用案がまとまった。ようやく来年4月から野球場の建設など本格的な整備に取り掛かるという。
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 古梶さんは今、跡地近くの新聞販売店で店主をしている。配達や集金で跡地そばを通る時は、車のアクセルを強く踏むという。「無理やり(競馬場での時間を)断ち切って、生きるためだけに費やした10年だった。立ち止まったら時間が一気に戻ってしまう気がした」からだ。
 記者とともに再びこの地を訪れる気になったのは「今の仕事が軌道に乗ったから」。古梶さんによると、約300人いた厩舎の仲間のうち、廃止後も競走馬に関われたのは1、2割。引退したある騎手は、ファンに気付かれないために「遠くの町の工事現場」へ行ったと聞いた。
 馬も同じ。市は把握していないが「最後までいた約200頭の大半が殺処分されたはず」と古梶さんは話す。
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 荒尾も当時の中津と似た状況にある。調教師や騎手など厩舎で働く102人のうち、再就職先が見つかったのは40人。引退が9人。残る53人はまだ決まっていない。約230頭の馬もほかの競馬場へ移籍できるのは3分の1程度にとどまるとみられている。
 荒尾市は、跡地(約26ヘクタール)について、市民を交えた検討チームを近く発足させ、来年度中に活用策を示す方針だ。自治体財政に計約91億円を繰り入れてきた荒尾競馬はかつて地域を潤す源泉だった。そんな「功労者」にむくい、地域再生につながる次の一手を急ぎたい。(西日本新聞)
【写真】10年ぶりに中津競馬の馬場跡に立ち、当時の様子を語る古梶さん。楕円形のコースを分断するように道路が敷かれていた。