2011年12月24日土曜日

荒尾 歓声とため息



 23日にフィナーレを迎えた荒尾競馬。ファンや関係者の様々な思いが交錯するなかで、83年の歴史に幕を閉じた。
 約9千人が詰めかけたスタンドから、大きな歓声と悲鳴が響いた。荒尾競馬最後のこの日の第9レース。12番のサマービーチが、スタートから先頭を切り、そのまま逃げ切った。
  騎手は荒尾に30年在籍した牧野孝光さん(47)。1981年のデビュー以来、ずっと荒尾で走ってきた。9年ほど前に鎖骨を粉砕する大けがを負ったが、現役を続行。だが、今年9月、荒尾市が年度内での競馬場の廃止を表明した。
  「やっぱり悔しかったですよ」と牧野さん。その分、このレースにかけた思いは強かった。「最後を勝利で飾れて、悔いはありません。ただ、終えてみると、こみ上げてくるものがありますね」。今後は、北海道の牧場で競走馬を育てるという。
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  最終日を迎えたファンや関係者の思いは様々だ。スタンドでレースを見守った常連の西村和孝さん(58)は「鼻差で1着を争うような、あの瞬間が何とも言えないんだよ」と話す。三井三池炭鉱で働いていたと言い、「閉山後は別の仕事に就いたけど、ここにくれば、かつての仲間にも会えた。廃止されるのはさびしかね」とこぼした。
  食堂で40年近く働いてきた福島征子さん(74)は「今日は本当に人がいっぱい。だけど、炭鉱があったころはいつもお祭りのようでしたよ」と懐かしんだ。
  厩務(きゅうむ)員の渡辺賢一さん(47)は最終レースを終え、「関係者みんなで一つの村みたいだった。またいつかみんなで会いたいな」と目を潤ませた。最終日までは再就職については考えられなかったと言い、「明日から探し始めます」と話した。
  01年廃止の中津競馬(大分県中津市)から移籍してきた騎手の杉村一樹さん(33)は川崎競馬(川崎市)に移る予定。地方競馬全体が落ち込んできているが、「自分にはこれしかないんで。また向こうに行ったら、新人みたいな気持ちで頑張りたい」と口元を引き締めた。
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  レース後のセレモニーでは、組合の管理者である前畑淳治・荒尾市長が「心の中の大切な思い出として荒尾競馬を残してほしい」とあいさつ。調教師と騎手でつくる県調騎会の平山良一会長(63)は「まだまだ続けたかったが、世の流れかなとも思う。いままで応援していただき、本当に幸せでした」とファンにお礼を述べた。
(塩入彩)
  荒尾競馬 1928年開設。55年から荒尾市と県が構成する一部事務組合が運営し、総額約91億円の収益金が市と県に分配された。だが、三井三池炭鉱の閉山やレジャーの多様化で98年度以降、赤字経営に転落。97年度に約57万人いた客は2010年度に約8万人にまで減少。売り上げもピーク時の約159億円(92年度)が約49億円(10年度)に落ち込み、10年度末時点の累積赤字は約13億6千万円に上っていた。 (朝日新聞)
【写真】(上)最終レースを走り終えた競走馬と騎手に観客が拍手を送った=いずれも荒尾競馬場。(下)最終レース後、着用していたゴーグルを観客にプレゼントする騎手