2009年5月17日日曜日

「大レース制する」夢乗せて 富里の若馬セリへ

 船橋市若松の船橋競馬場で18日、生後1、2年の若いサラブレッドのセリ市が開催される。上場される馬は計42頭。多くは北海道の大規模牧場の馬だが、地元千葉の牧場も、小規模ながら、手塩にかけた自慢の馬を披露する。成田空港に近い富里市御料にある山田牧場経営者の山田雅章さん(51)もその一人。今回、2頭の1歳馬をセリに出す。

 「どちらもバランスの良い体格だし、能力を秘めた血統。馬主さんの目に必ず留まれよ」。山田さんはそう言って、2頭の鼻をなでる。

 飼育する雌馬3頭に種付けし、生まれた子馬を売却して収入を得ている。生計は楽ではないし、休みもない。それでも「わが手で育てた馬が大レースを制する。そんな夢をかなえたくて、何とか踏ん張っています」。

 牧場は最初に祖父が今の八街市内に開き、1961年、父の博司さん(84)が富里に移した。元は戦後の開拓農地。子どもだった山田さんは、額に汗して草地を牧場に変え、暗いうちから馬を世話する両親の姿を覚えている。自身も馬と遊び、馬とともに育った。

 「御料」の名は日本の競走馬生産の原点になった「下総御料牧場」に由来する。かつて周辺には大小の牧場が点在し、多くの名馬を生んだ。だが、次第に生産の中心は北海道に移り、富里の牧場の役割は現役馬の休養が主になっていった。

 廃業した人も多い。生産に資金と手間をかけても、収入が安定しないからだ。船橋でのセリも、昨年は2歳馬が上場54頭で売却は30頭。1歳馬に至っては7頭上場で売却ゼロ。「うち以外で今も競走馬を生産している富里の牧場は数軒」。往時を知る山田さんは寂しさを募らせる。

 大学卒業後、証券会社に就職した。「30歳過ぎたら牧場に」と考えていたが、仕事がどんどん面白くなり、肩書も付いた。妻と子どもを養うのにも不自由はなかった。

 それでも馬づくりへの思いは断ちがたく、99年に会社を辞め、牧場に戻った。設備更新のため貯金もはたいた。ただ、最初は失敗の連続。よその牧場にも通ったりして、体調管理や飼料など基本から学び直した。

 ヤマノロイヤルという、父親から受け継いだ雌馬が自信を与えてくれた。産んだ馬たちが丈夫で、地方競馬でまずまずの成績を上げたのだ。「博司さんに感謝しろよ」。周囲の言葉が胸にしみた。18日のセリに送る2頭のうち、1頭はヤマノロイヤルの孫だ。

 証券マン時代、会社が作成した顧客向け推奨株リストを「これでは会社の利益になっても、お客の利益にはならない」と突っぱねたことがある。それで「左遷を味わった」が、その信念に変わりはない。

 「馬づくりに近道はない、と思う。やはり、夢は自分が納得した馬でかなえたいですよ」(読売新聞)